研究所の蔵書

研究所の蔵書のうち、文庫名を冠しているものには以下のようなものがあります。

このほかにも、まとまった蔵書として、井上次郎右衛門家旧蔵資料、小鼓山崎家旧蔵資料、笹野堅氏旧蔵資料、幣原家旧蔵資料、横道萬里雄氏旧蔵寺事関係図書などが挙げられます。

鴻山文庫(こうざんぶんこ)

江島伊兵衛氏旧蔵書。1976年設立。
本文庫は、江島氏が戦前から長年にわたって蒐集した室町時代から近現代までの能楽関連資料からなり、「江島」の二字を合体し「鴻山文庫」と命名し、1935年江島氏自宅に創設した。江島氏逝去後、翌年1976年4月に御遺族より法政大学に寄贈され、翌1977年夏に本学の能楽研究所(当時の麻布校舎)に「法政大学鴻山文庫」として移管された。現在本研究所が保管している。

本文庫は、謡本・伝書・注釈書・演出資料などの能楽関連資料、約一万点からなる。能楽のあらゆる文献を網羅しており、質・量ともにこの分野で本文庫に比肩するものはない。江島氏が特に蒐集に力を入れた謡本には、観世小次郎元頼章句本・観世宗節節付本・金春禅鳳自筆本や重要文化財の指定を受けている吉川家旧蔵車屋本といった古写本や、美術品としても価値の高い光悦謡本(15種)など貴重なものが多い。謡本以外にも世阿弥『五音下』や『至花道』『申楽談儀』を含む細川十部伝書、金春宗家から寄贈された金春禅竹筆『明宿集』、下間家伝来の下間少進自筆『童舞抄』『叢伝抄』『舞台之図』、古活字版『謡抄(守清本)』など資料的価値の高い文献は枚挙にいとまがない。

江島伊兵衛氏(1895~1975)は宝生流謡本版元わんや書店の社主である。父 伊兵衛死去により、四歳で八代目伊兵衛を襲名。1917年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後、他会社の専務・社長を歴任し、1928年わんや書店社長に就任した。出版事業はもちろん、能楽三役の後継者育成など、能楽界の発展に尽力した。家業の一方で多年にわたり能楽関連古書を蒐集し、1935年「鴻山文庫」を設立し、研究者などにも公開した。氏は単なる蒐集家ではなく、研究者としての一面もあり、『車屋本之研究』や『図説光悦謡本』(表章氏との共著)といった著作があるほか、『鴻山文庫本の研究-謡本の部-』(表章著、わんや書店、1965年)の完成にも助力した。

目録については、『鴻山文庫蔵能楽資料解題(上)』(法政大学能楽研究所編、1990年)、『鴻山文庫蔵能楽資料解題(中)』(同1998年)、『鴻山文庫蔵能楽資料解題(下)』(同2014年)を参照。

般若窟文庫(はんにゃくつぶんこ)

本文庫は、奈良県生駒市の宝山寺に保管されていた、約2,000点から成る金春家伝来の能楽関係資料である。謡本・型付・伝書・書状・番組など多岐にわたり、室町期の資料も少なくない。中でも金春禅鳳自筆謡本や金春喜勝自筆謡本などが最も貴重な資料である。

これらの文書は1941年、川瀬一馬氏によって発見されたが、その後、1966年宝山寺館長 松本実道氏の御配慮で、国や県の文化財に指定した貴重書(世阿弥伝書・禅竹伝書・金春氏勝関連兵法伝書)を除く、金春家伝来文書の大半が本研究所に寄託され、1981年に寄贈された。「般若窟文庫」の名称は宝山寺の別称にちなんでいる。

生駒の聖天さんとして親しまれた宝山寺は、幕末から金春大夫家と縁があり、当時の金春大夫広成の三男、隆範が幼少期、宝山寺に入り出家しているが、本文書もそうした縁で宝山寺に預けられたと考えられている。

観世新九郎家文庫(かんぜしんくろうけぶんこ)

服部康治氏蔵小鼓観世家文書。1975年設立。

服部氏所蔵資料をはじめて本格的に調査・紹介したのが、本研究所の表章であったため、その縁により1975年6月に服部家より寄託され、のち1988年3月に寄贈を受けた。

本文庫は、小鼓観世流の家元であった観世新九郎家の伝書を中心に約700点からなる。能楽伝書類も貴重であるが、織田信長朱印状・豊臣秀吉書状のほか『四座役者目録』著者自筆本など、歴史および能楽史資料の宝庫でもある。文献資料のほかにも、能楽師を描いた現存最古の画像「宮増弥左衛門親賢像」や将軍家から名人へ与えられる紫調小鼓などが含まれる。

服部康治氏(1923~2001)は北海道大学医学部を卒業後、千歳市に千歳第一病院を開いた医師で、小鼓観世流の家元十三代目新九郎豊成(とよなり)の次男小錦治の孫にあたる。豊成の長男 観世権九郎(宮増)豊好が晩年、弟の小錦治の許に身を寄せていたため、豊好没後、伝書類が小錦治家に残り、康治氏がそれを所蔵していた。康治氏自身は芸を継承していないが、貴重な資料を散逸させずに後世に伝えた功績は大きい。

鷺流狂言水野文庫(さぎりゅうきょうげんみずのぶんこ)

鷺流狂言愛好家水野善次郎氏旧蔵鷺流伝書。1972年設立。

本文庫は、水野善次郎氏の御遺志に基づき、御家族から寄贈されたものである。水野善次郎氏(1972年没)は、狂言役者鷺畔翁の後継者であった水野清太郎氏(1885-1920)の実子で、神田で青物問屋を営み、狂言鷺流の愛好者であった。清太郎氏の死後、弟脩三氏(昭和34年没)に委託されていた鷺流伝書を受け継ぎ保管されていたのである。

資料は45点あり、鷺流狂言関係の資料の文庫としては本文庫が最大のものである。鷺流20世家元であった鷺畔翁(1842-1922)自筆の『鷺流狂言型附本』や、『鷺流狂言五番綴本』『鷺流狂言一番綴本』、多くの曲を収める間狂言台本の『鷺流間の本』などが貴重である。

楠川文庫(くすかわぶんこ)

能楽シテ方楠川正範氏旧蔵金剛流伝書。約60点。1969年設立。

本文庫は、楠川正範氏の没後(1969年6月24日)、夫人より寄贈されたものである。なお、その後、夫人の没後、長女の辻雅子氏より、主に実技関係の資料が追贈された。

楠川正範氏(1907-1969)は、大正・昭和期の能楽シテ方の役者である。米沢で生まれ、はじめ坂戸金剛最後の宗家である金剛右京(1872-1936)に師事し、右京の片腕として東京金剛会で活躍した。右京没後は金剛流職分として奥野達也らと共に東京の金剛流を支えてきたが、1948年に観世流に転流し、坂井音次郎門下の師範となり、芳朗と改名した。

蔵書は金剛流関連資料を中心に、約90点。中でも各種の金剛流の謡本が多く、とくに明治三十一年檜書店刊「金剛流一番綴謡本」約200冊には、型付・手付などが朱書されており貴重である。また、伊達家旧蔵の金春大蔵流の謡本の離れらしい「望月」なども資料的価値が高い。

三宅文庫(みやけぶんこ)

謡曲研究家三宅〓(禾偏に亢)一氏旧蔵書。謡曲関係資料・レコード・テープほか、約90点。1972年設立。

本文庫は、氏の没後の1972年に、三宅氏の御遺族から寄贈された。蔵書は、三宅氏自身の著作と多数の謡曲関係資料から成る。

能楽研究家・評論家であった三宅〓(禾偏に亢)一氏(1890-1970)は、東京大学法学部卒業後、逓信省に入り、その後、発電会社に勤務する。戦後は職を辞し執筆活動に入る。早くから福王流、観世流の謡、幸流の小鼓を学んだ氏は、謡曲の技法研究に先駆的な業績を残し、『謡の基礎技術』『節の精解』『拍子精解』など謡技法の理論書を数多く著した。

三宅氏の著作をはじめとする謡曲関係資料・レコード・テープなど約90点から成り、特にレコード・テープの音盤資料には貴重ものが多い。

香西文庫(こうさいぶんこ)

能楽研究家で研究所顧間をつとめた香西精氏の旧蔵資料。能楽関係図書及び研究ノート等、約150点から成る。1979年設立。

研究所では1963年9月から、香西氏に本研究顧問を委嘱していた。その縁により、香西氏の七回忌にあたり御遺族から氏の蔵書を受贈したものである。

香西精氏(1902-1972)は東京大学文学部英文科卒業後、甲南高校教授となるが病気のため辞職、1942年から米穀会社に入り、兵庫米穀株式会社社長・会長を歴任した。その一方で戦前から能楽研究に打ちこみ、雑誌『謡曲界』などに多くの新見を発表した。戦後、雑誌『宝生』に「とらうきやう考」を発表した後、本研究所の表章との交流が始まり、「世阿弥の出家と帰依」をはじめ、今日の世阿弥研究の基礎となる多くの功績を残した。氏の研究は『世阿弥新考』『続世阿弥新考』などの著書にまとめられている。

蔵書は、活字本が中心で、能楽に限らず歴史・文学・思想・史料などの一般書も含み約1000冊を数える。蔵書の中には香西氏の書き込みがあるものもあり、香西氏の研究過程を示す私家版『禅鳳雑談』などがとりわけ貴重である。

野上文庫(のがみぶんこ)

下掛り宝生流の謡を嗜んだ野上豊一郎・弥生子氏旧蔵書。能楽関係資料(欧文文献をも含む)約200点。1985年設立。

野上豊一郎博士の功績を記念して設立された本研究所は、野上家と縁が深く、研究所発足時には弥生子氏も顧問に加わっていた。本文庫は、弥生子氏が逝去された1985年3月以降、数回にわたり野上家より寄贈を受けた資料から成っている。

野上豊一郎氏(1883-1950)は英文学者であり能楽研究家でもある。1908年東京大学英文科卒業後、本学講師となり、1947年からは総長を務めた。一高在学中に夏目漱石に師事し外国文学研究に尽力する一方、能の研究にも傾倒し、『能 研究と発見』(1930)、『能の再生』(1935)、『能の幽玄と花』(1943)、の三部作をはじめ著作も多く、能楽研究の新分野を開拓した。夫人の弥生子氏(1885-1985)は小説家であり、明治女学校卒業後、豊一郎と結婚し漱石門下に入り、以後『海神丸』『大石良雄』『真知子』『迷路』といった多彩な作品を著した。豊一郎氏と共に下掛り宝生流の謡を嗜み、また幸流小鼓を習い、能に関わる多くの随筆を残している。

蔵書は欧文文献を含む、能楽関係資料 約250点。江戸初期筆日瓜忠兵衛宗政手沢観世流謡本10冊(能楽研究所蔵本の離れ)や、野上御夫婦愛用の下掛り宝生流謡本二組などがとりわけ貴重である。

古川文庫(ふるかわぶんこ)

東京女子大学教授ほかを歴任し、創設以来の所員(兼任)であった古川久氏旧蔵能楽関係図書。約200点。1989年設立。

古川久氏(1909-1994)は、本研究所発足以来1981年まで兼任所員を務めた狂言研究の先駆者である。1932年に東北帝国大学(現 東北大学)法文学部卒業後、旧制松本高校、東京女子大学教授、武蔵野女子大学能楽資料センター所員を歴任した。大学在学中は、滝沢馬琴・夏目漱石・世阿弥研究を進めていたが、1936年六世野村万蔵に狂言を習い始め、狂言研究に励むようになった。『狂言辞典 語彙編』や小林責氏との共著『狂言辞典 事項編』『狂言辞典 資料編』(東京堂出版)などの著作は、今日の狂言研究の礎となっている。

本文庫の能楽資料は狂言関連が中心で、そのほとんどが古川氏自身が収集したものであるが、中には石田元季氏(俳文学の研究者 古川氏の恩師)旧蔵本も数点含まれる。元文五年写の大蔵流台本『吹田定与筆大蔵流狂言本』や、享和元年写の大蔵八右衛門派台本で狂言101曲、間狂言92曲もを収める『紹貞筆大蔵八右衛門派狂言本』など、他に所在を聞かない資重資料が少なくない。

田中允文庫(たなかまことぶんこ)

能楽研究家・小鼓方幸流能楽師であった田中允(芸名・穂高光晴)氏(1913-2002)旧蔵資料。約250点。2001年設立。

本文庫は、田中氏自身から、収集資料の一部を寄贈されたものである。

田中氏は、東京帝国大学卒業、横浜医専(現横浜市立大学医学部)で教鞭をとった後、野上豊一郎の招きにより、法政大学文学部に着任。1952年より能楽研究所専任所員、1970年より青山学院大学教授。編著書に『改訂増補 四座役者目録』(わんや書店、1975年)、『謡曲集』(朝日新聞社、1949-52年)などがある。

田中氏の最大の業績は番外曲研究であり、1952~98年にわたって『番外謡曲』(全2冊)『未刊謡曲集』(正・続52冊)で約2500曲の番外曲を翻刻・紹介した。本文庫所蔵資料は、この番外曲研究のために書写・撮影された謡本資料が大半を占める。撮影されたものは、紙焼き写真に現象され、和装本形態に綴じられたものが多い。書写本は、薄様紙に透写し、各丁に間紙を挟み、丁寧に装丁されている。本資料の中には田中氏旧蔵浅葱表紙本のように現所在が不明なものや、能勢朝次旧蔵本のように原本が存在しないものの転写本も含まれ、資料的価値が高い。

河村隆司文庫(かわむらたかしぶんこ)

京都のシテ方観世流の能楽師であった河村隆司氏(1928-2008)の旧蔵書。約600点。2003年設立。

本文庫は、河村氏自身から、蒐集資料の大部分を寄贈されたものである(重複分は、国立能楽堂に分蔵)。

河村氏は河村北星の四男として京都に生まれ、十二世林喜右衛門矩玄・八世片山九郎右衛門に師事、河村能舞台を中心に活動した。1983年には大阪文化祭本賞、2006年には観世寿夫記念法政大学能楽賞を受賞。能楽関連資料の蒐集家としても名高く、文芸世界への造詣も深かった。

蔵書の中心は謡本で、本研究所が管理する文庫の中では鴻山文庫に次ぐ規模であり、正徳六年に観世大夫滋章の奥付とともに刊行された正徳弥生本の初版本など、鴻山文庫にも所蔵のない稀覯本を含むほか、神戸松蔭女子大学蔵堀池宗活本の離れや江戸中期の金剛大夫久則の署名をもつ金剛流謡本など、貴重本が少なくない。また、『未刊謡曲集』にも所収されない「三原山」という珍曲謡本もある。