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5.史料

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  • 宮増弥左衛門親賢画像  (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 軸装。画本体は595×255。宮増親賢が小鼓を打つ姿を描いたもので、現存する能役者の画像としては最古のもの。絵師窪田統泰画。英甫永雄(雄長老)の画像賛を付す。
  • 宮増親賢画像讃点注 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 宮増弥左衛門親賢画像(観世新九郎家 二2)に巻き込まれていた文書。末に「右讃詞ノ点註ハ建仁寺伯西堂ノ被遊ル也。讃ハ細川幽斎ノ弟雄長老也」とある。
  • 正月三日付、橋本与三右衛門あて宮増親賢書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 244×460。小鼓方宮増親賢が弟子の橋本与三右衛門に宛てた返報。文中に名前が見える「小次」「彦六」はそれぞれ観世小次郎元頼、美濃彦六のことであろう。年不明。
  • 六月三日付、宮増弥左衛門親賢書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 128×410。宛書を抹消した痕跡があり、宛所不明。追書に「越前のミちあキ候て」とあるのは、弘治二年(一五五六)四月の越前守護朝倉義景と一向一揆との講和を指すらしく、同年の書状か。
  • 観世彦右衛門あて里村紹巴書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 253×402。連歌師の紹巴が小鼓方観世彦右衛門宗拶に宛てた書状。紹巴が嶋田殿にて彦右衛門の子息の鼓を聞き、感涙した由を記す。彦右衛門の子の又次郎(永禄十一年生)が若年の頃の書状らしい。
  • 永禄十一年十月廿日付、彦右衛門あて下知状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 300×470の奉書。西岡最福寺のうち百石の領地を安堵する下知状。西岡は山城国乙訓郡の地名。差出人は将軍足利義昭の沙汰人であろう。
  • 永禄十一年十月廿四日付、観世小次郎あて信長朱印状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 275×445の奉書。勧修寺郷の領地を安堵する信長の朱印状。観世小次郎は観世座脇方の観世元頼。
  • 永禄十一年十一月十六日付、観世小次郎あて下知状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 293×453の奉書。山城国の所々の領地を安堵する下知状。差出人は将軍足利義昭の沙汰人であろう。
  • 十一月廿八日付、観世彦右衛門あて信長朱印状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 142×460の奉書。最福寺の七十二石余の領地を安堵する信長の朱印状。
  • 五月十三日付、観世小次郎元頼書状案文  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 267×395。観世小次郎元頼が津田金左衛門尉・坊喜三郎に宛てた書状の案文。勧修寺郷の領地をめぐる紛争に関する書状らしい。
  • 七月十三日付、観世小次郎あて木下藤吉郎秀吉書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 295×440の懐紙。勧修寺郷の領地に関する小次郎の書状に対する秀吉の返報。元亀二年の書状か。
  • 元亀三年正月廿八日付、観世小次郎あて信長朱印状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 147×458の奉書。勧修寺郷の領地をめぐる紛争に関し、裁決を下す信長の朱印状。文中の三渕は足利義昭に仕える幕府御用部屋衆。
  • 元亀四年六月廿八日付、観世彦右衛門あて荒木村重書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 131×420の懐紙。鳥養郷の領地を合力として与える、荒木村重の書状。
  • 九月廿五日付、中川清秀書状写し  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 150×443の懐紙。荒木村重が観世彦右衛門に与えた領地に関する中川清秀の書状。百姓中に彦右衛門の知行たることを申しつけるよう命じている。「北但」宛。
  • 九月廿六日付、辻玄照あて高助左書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 125×390の懐紙。観世彦右衛門の領地に関して、辻玄照に引き渡しを要請する高助左の書状。
  • 極月廿三日付、石伊あて荒木摂津守村重書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 125×405の懐紙。鳥養郷の観世彦右衛門の領地につき、無役たることを申しつける荒木村重の書状。「石伊」は村重配下の人物であろう。
  • 天正拾年三月九日付、観世彦右衛門あて羽柴秀吉折紙  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 160×500。播磨国のうち百石の領地を合力として与える、羽柴秀吉の書状。
  • 天正十一年九月十日付、観世宗拶あて織田信雄折紙  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 178×506。北伊勢三重郡智積の知行地を与える織田信雄の書状。
  • 極月七日付、観世彦右衛門あて杉原家次書状 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 折紙(141×440mm)。文面「其方居屋敷之/事 就南禅寺塔/頭慈聖院領 去年/之地子返納所にて/当七月以来難/渋之段不謂儀候間/秀吉可申達之通/自彼御寺訴訟ニ候/如何之始末候哉 如前々/急度被相済可然存候/但被申候分於在之者/可有言上候 無其理/於被抱置者不被相届/儀候 速可被□納候/為其令啓候 恐々謹言/極月七日 杉原七郎左衛門尉 家次(花押) 観世彦右衛門入道殿」。杉原家次は天正十年八月から翌五月までの京都奉行。その間の文書であろう。
  • 七月廿一日付、観世宗拶あて増田長盛折紙 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 折紙(159×495mm)。文面「其方居屋敷/地子之儀御免許/之由 秀吉被仰/出候、可被成其意候/ 恐々謹言/七月廿一日 増田仁右衛門尉 長盛 観世宗拶座下」。増田長盛は後に豊臣家五奉行の一人。その頃は右衛門尉と称し、花押も本状とは少し違う。五奉行以前に秀吉の沙汰人的地位にあったものか。『極月七日付、観世彦右衛門あて杉原家次書状』(観世新九郎家 三18)に「当月七月…」とあるのが本文書と関係あるとすれば、天正十年の文書か。
  • 増田長盛折紙写し (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 折紙(161×492mm)。『七月廿一日付、観世宗拶あて増田長盛折紙』(観世新九郎家 三19)の写しであるが、同時代の写しと思われる古い文書。観世新九郎家 三19に基づいて地代を払わずにいた所へ『極月七日付、観世彦右衛門あて杉原家次書状』(観世新九郎家 三18)の文書が出されたために、本書を証拠として提出したものか。
  • 天正十三年七月二日付、観世又次郎あて中川秀政折紙 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 折紙(161×500mm)。「以上/鳥養之内有留分/半分之儀任代々旨/観世又次郎方へ遣候/全可知行候/恐々謹言/天正拾参年七月二日 中川藤兵衛尉 秀政(花押) 観世又次郎殿御宿所」。中川秀政は『九月廿五日付、中川清秀書状写し』(観世新九郎家 三13)の清秀の長子。彦右衛門宗拶はこの年の八月九日殁。その直前に又次郎が相続したらしく、それに伴って、『元亀四年六月廿八日付、観世彦右衛門あて荒木村重書状』(観世新九郎家 二12)の旧知行を安堵した折紙。
  • 七月十四日付、今井周防守清房書状 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 折紙(121×385mm)。文面「観世九郎方知行/分事家三間地/子銭事 長慶へ/申聞即如当知行/無別儀可被納所由/候条可被其意得候/恐々謹言/七月十四日 今井周防守清房(花押) 道正公・嶋屋殿・石川殿御宿所」。観世九郎は観世新九郎家初代の九郎豊次。
  • 天正拾四年九月三日付、観世又次郎あて羽柴秀次折紙 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 折紙(160×505mm)。文面「已上/為扶助/五拾石遣之/者也/天正拾四九月三日 孫七郎 秀次(花押) 観世又次郎とのへ」。秀吉とは別に養子の秀次も又次郎に扶持を与えていたことが知られる。
  • 天正十九年九月一日付、観世道叱書状控 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 一枚物(356×500mm)。書状の案文か控えらしい。文面「今度継目之御朱印出不申付而/賀茂両院両村之内合八拾弐石之分/当物成預リ申候 重而御朱印出不/申候ハヽ右之八木急度返進可申候為/其如此候 以上/卯九月一日 観世道叱 金子八郎兵衛殿まいる」(以下、本文を繰返して書いてある)。道叱は又次郎の法名。金子は豊臣家の役人か。又次郎自筆文書と認められる。『天正十九年九月十三日付、観世又次郎あて豊臣秀吉朱印状』(観世新九郎家 三26)の発行が遅れたための文書らしい。卯年は天正十九年。
  • 天正十九年九月朔日付、金子八郎兵衛折紙 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 折紙(180×505mm)。文面「以上/観世又次郎知行/当納無相違可/相納候少も異儀/有間敷候 為其申/越候 以上/卯九月朔日 金八良兵(黒印) 西賀茂・西院 両村百姓中」。『天正十九年九月一日付、観世道叱書状控』(観世新九郎家 三24)と同日付であり、朱印状未出を理由に両村百姓が年貢を収めるのを怠ることを避けるため、三24と引き替えに金子が本状を又次郎に与えたのであろう。黄色の包紙にも「西賀茂・西院 両村百姓中」とある。
  • 天正十九年九月十三日付、観世又次郎あて豊臣秀吉朱印状 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 折紙(229×660mm)。文面「山城国西院内五石/六斗土居内減分田/畠替西賀茂内本知/残分七拾六石四斗合/八拾弐石事宛行之/訖全可領地候也/天正十九九月十三日(朱印)/観世又二郎殿」。西賀茂・西院の領知を安堵する豊臣秀吉の朱印状。『天正十九年九月一日付、観世道叱書状控』(観世新九郎家 三24)に言う「継目の朱印」がこれであろう。父が歿して天正十三年に家督を嗣いだはずの又次郎への継目朱印状の下付が遅れた理由は不明。上書に「観世又次郎」とある包紙も当時のもの。
  • 五月十三日付、観世大夫あて山岡道阿・岡野江雪斎書状 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 折紙(160×495mm)。文面「以上/今度大明神/御祭礼之御能ニ/弥石脇鼓令/難渋不致候段/御同名又次郎/内府様へ直訴ニ候/依之又次郎召/連早々可罷出候/御尋被成従昔之/如法度可被仰付/旨御諚ニ候 有御/心得早々御参尤候/委曲面を以可申候/恐々謹言/五月十三日 山岡左入 道阿(花押)/江雪斎 □成(花押)/観世大夫殿御宿所」。山岡道阿景友と岡野江雪斎融成は慶長四年頃に豊臣秀頼の内衆、五年以後は家康の側近。文中の内府は徳川家康。家康の内大臣の期間と豊国大明神祭礼との重なりを考えると、慶長四~七年の間の書状。観世大夫は九世の身愛。文中の弥石は観世座で宗拶から道叱の代まで脇鼓を打った弥石与四郎。
  • 五月十五日付、観世又二郎あて藤堂高虎書状 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 折紙(171×536mm)。文面「三右衛門尉上候ニ付而令/啓候連々如申此者之/鼓弥指南頼入申候/仍其方子共弥切々/出入候様尤候如在申/間敷候能乱舞於/有之者人を可遣之候間/可被越候又江戸駿河/にて猶以用之事候者/可被申候不可有疎意候/恐々謹言五月十五日 藤和泉守(花押) 観世又二郎殿御宿所」。(追書)「尚々杉原五束/諸白之手樽一進之候/以上」。藤堂高虎が和泉守になったのは慶長十一年九月以後。又次郎が逼塞して京都に住んだ頃の書状らしく、慶長末年であろう。包紙に「(朱)「九壱号」/藤堂和泉守殿より/又次郎江文」とあり。
  • 文明十八年筆弓法聞書 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 折紙(250×345mm)。冒頭に「文明十八年五月三日/近江国ミマンシニテタカノフンコトノニトイ申候事」とあり、主として弓に関する故実15ヶ条を書き並べる。原本と認められ、観世新九郎家文庫中の最古の文書。多賀豊後守は近江京極氏の重臣で、諱は高忠。室町幕府に仕え、武家故実や弓法に長じていたことで知られる。能との関わりも深く、金春座脇の日吉与四郎は多賀高忠の配下に属していた。
  • 天正十三年八月十日付機外宗拶禅人下火語 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 一枚物(284×434mm)。裏打ちをする。同年八月九日に歿した観世彦右衛門宗拶を荼毘に付した際の法語。大徳寺明淑和尚の作。
  • 天正十三年城州愛宕郡西賀茂村検地帳 (9)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴美濃本(277×190mm)。共表紙に題記や「天正拾三年 拾月吉日」の年記、「観世又二郎」「山口次左衛門対渡」の名、割印などがある。楮紙で全八丁。末尾に「都合八拾弐石(黒印) 天正十三十一月晦日 山口次左衛門」とあり、観世又次郎の領地西賀茂村の検地帳。
  • 能之留帳 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所蔵
    • 解題: 袋綴横本。本願寺坊官の下間少進が演能した場所・曲目・演者名などを克明に記録したもので、天正十六年から慶長七年の間の演能記録を収める。安土桃山期の能楽史料として貴重。
    1. 一冊  (68)
    2. 二冊  (116)
  • 四座役者目録 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題:  能役者の伝記集。 江戸時代の能役者の事績を集成した一級資料。 観世流小鼓の新九郎家五代目、観世勝右衛門元信が、家に伝わる書物や自身の見聞等に基づいて編纂した。 元信による、正保三年(1646)と承応二年(1653)の二つの奥書があり、この間に多くの増補・訂正を施した跡がある。 上下二冊。 282×213ミリ。 原装は仮綴。
    1. 上  (46)
    2. 下  (82)
  • 四座之役者  (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 世阿弥の時代から戦国期にかけて大和猿楽四座で活動した能役者の名譜。編者は戦国期の観世座の太鼓役者・観世与左衛門国広。本資料はその国広の自筆本。一部に国広自身による後年の書き入れが見られる。
  • 寛永十八年林道春奥書観世小次郎信光画像讃  (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 紙高245ミリの巻子本。「道春之手跡」と墨書がある箱入り。宜竹の観世小次郎信光画像賛全文を、返点・送り仮名・朱引を施して書写したもの。林道春自筆の奥書によれば、観世重成の求めに応じて書写したという。
  • 寛永二十年観世彦三郎元貞筆信光画像讃 (8)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 未装巻子本。高さ181mm。料紙斐楮交漉紙。『寛永十八年林道春奥書観世小次郎信光画像讃』(観世新九郎家 二8)を朱点まで忠実に模写したもので、末の奥書に「右正本者前在通道春今観世左近大夫 諸侍系図改之刻此事見出書アタヘ則服部之系図詳見ヘタリ 信光自讃之事故予所望シテ少茂不残書写者也 寛永弐拾癸未年 三月廿二日 観世彦三郎元貞(花押) 武州江都ニテ」とある。観世彦三郎は観世座大鼓方。正保二年35歳殁。
  • 寛永二十年観世勝右衛門元信筆信光画像讃 (11)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 未装巻子本。高さ180mm。料紙斐楮交漉紙。『寛永二十年観世彦三郎元貞筆信光画像讃』(観世新九郎家 二9)と同じく『寛永十八年林道春奥書観世小次郎信光画像讃』(観世新九郎家 二8)の模写であるが、二8からの直接の臨模ではなく、二9にも基づいているらしい。末の奥書に「這書者寛永十八年諸侍系図改之刻当観世左近大夫重成ニ道春書写遣 右小次郎権守信光者予依為先祖書写置者也 寛永廿癸未年 十月十七日 観世勝右衛門尉元信(花押)」とある。包紙には「信光讃」と題する。
  • 江戸中期筆『四座役者目録』 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴大本(284×207mm)。茶色表紙。長形題簽に題記。料紙は交漉紙。観世勝右衛門元信筆『四座役者目録』(観世新九郎家 五1)に基づく転写本で、江戸中期頃の写本らしい。原本の頭書は、本文の末に「頭書曰」と注して連ねる形。江戸中期筆「増補能楽古記録集」(観世新九郎家 五6)の豊成の付記に、観世勝次郎豊羨家伝来の「四座役者目録」を死後に取り戻した由を言うのが本書にあたるか。
    1.  (44)
    2.  (67)
  • 江戸中期筆『古今四座役者并白人芸者記録』 (105)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴大本(282×198mm)。茶色表紙中央の題簽に表記の如く題するが、別に「役者記録」とも墨書がある。薄手の料紙で、墨付101丁。四座役者目録の異本と見なされる書。観世勝右衛門元信筆『四座役者目録』(観世新九郎家 五1)に基づきながらも、古代(上)と近代(下)を一緒にし、座は観世・金春・宝生・金剛、その他の順に、役は大夫・脇・小・大・太・連・狂言の順に統一し、記事にも手を加えたり前後させたりして、大幅に編集し直してある。朱引が多く、朱筆による追記などもある。書写に関する識語がないが、江戸中期頃の筆と認められる。改訂の正確な年代や改訂者は不明。本書が同系異本の祖本と思われるが、明確ではない。
  • 喜多七太夫ツリ (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 『古今四座役者并白人芸者記録』(観世新九郎家 五4)の付属文書。一枚物(167×300mm)。初代の古七大夫から五代目の十大夫にいたる喜多家歴代、及び分家権左衛門家の名乗り、享年等を書き留めた系譜資料で、江戸中期の筆。『享保六年書上』などの所伝とは相違する点が多いが、本資料は喜多家系図として最古の文書であり、より信頼度が高い。
  • 江戸中期筆「能楽古記録集」 (19)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴大本(283×200mm)。墨付16丁で厚さは異なるが『古今四座役者并白人芸者記録』と同装で、本来は一群の書らしい。もと書名があったらしいが、題簽が剥落している。(1)歌舞之濫觴(常照禅師筆、沢庵跋。原本は観世宗家蔵)、(2)明人友梅筆催花額、(3)寛正五年糺河原勧進能記、(4)近衛前久筆豊次夢想和歌、(5)永禄六年(実は七年)相国寺八幡観世大夫勧進能記録(承応三年六月十九日観世庄右衛門元信奥書)、(6)延宝元年林学士述小鼓紫調記の、計六種の能楽史料を集成書写した書。同内容を有する「増補能楽古記録集」(観世新九郎家 五6)、『申楽起原抄』(観世新九郎家 五7)の両本よりは本書が古い形と思われる。
  • 江戸中期筆「増補能楽古記録集」 (31)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴大本(257×189mm)。茶色表紙。題簽剥落。「能楽古記録集」(観世新九郎家 五5)所収の六種の史料に、新たに(7)観世・金春両座大夫・小鼓役者略系(休斎宗与奥書)と、(8)小鼓名筒之由来(宗与奥書)の二種を加え、(1)(4)(2)(6)(7)(8)(3)(5)の順に書写してある。浅野太左衛門栄足が文化八年正月に編んだ『優伎録』(『校本四座役者目録』にその一部を翻印)は本書をさらに増補した形。途中や末に天保十三年と嘉永五年の観世新九郎豊成の追記があり、本書の原本を元信筆かと疑い、その原本紛失の事から四座役者目録盗写の問題に言及している。
  • 正保三年観世勝右衛門筆「覚書」 (15)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 帖装小型本(93×112mm)。表紙欠。伏見(這小謡昔公方ノ御謡初ニ観世大夫ウタヒタル也)・鼓滝(右青表紙以章句写之者也)の小謡、後小松院~後陽成院の各天皇と歴代将軍の名を記した後に、世阿弥・禅竹・禅鳳・信光・宗印らの逸話の類を書き連ねる。奥書「正保参初冬六 観世勝右衛門(花押)」。『四座役者目録』(観世新九郎家 五1)にも投影している書。観世新九郎家文庫には、冊子本以外にも元信が『四座役者目録』の編著と並行して記録した文書が少なくない。
  • 正保四年観世元信筆『観世家系図』 (18)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴大本(279×215mm)。共表紙に「観世家系図」と題記し、「元信」「弐冊之内」とも墨書する(見返しにも)。慶安二年観世元信筆『観世家系図註』(観世新九郎家 五10)と一組の写本。『四座役者目録』(観世新九郎家 五1)の原装とほぼ同装。(1)林道春筆の観世小次郎画像讃(観世新九郎家 二8)・(2)観世之系図(二8付載の釣書を増補し、元信までの系図)・(3)「観世之系図」と題した常照禅師の「歌舞之濫觴」(沢庵の加点奥書あり)とを合写し、(2)(3)の末に「正保四丁亥正月十一日書之 服部(スハ観世)勝右衛門元信」の奥書がある。正保以後の追加記事(『花伝』第三の奥書など)もあり、最末に「寛文二壬寅八月十八日 自小次郎権守信光五代 観世正右衛門入道休斎 宗与(花押・印)観世長吉殿まいる」とあって、『四座役者目録』(観世新九郎家 五1)と同様、元信が実子の長吉に相伝した書。
  • 慶安二年観世元信筆『観世家系図註』 (16)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴大本(293×222mm)。共表紙。やや寸法が大きいが『観世家系図』(観世新九郎家 五9)とほぼ同装で、本冊の表紙にも「弐冊之内」とある。観世小次郎画像讃の和訳で、「右之註 観世左近大夫重成ニ有ヲ以写ス也」と末に注する。元信の奥書は慶安二年五月廿五日付で、「付翁宗与」の署名や「観世長吉殿まいる」の宛書も書き加えてある。
  • 慶安二年観世宗兵衛豊俊筆『小次郎系図』 (10)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴大本(275×204mm)。紺表紙。朱色書題簽「小次良系図」。内題は「観世小次郎画像」で、林道春奥書の観世小次郎信光画像讃(観世新九郎家 二8)の写し。末に本文料紙と同質同大の紙が挿入されており、それに本文と同筆で慶安二年六月十五日の観世宗兵衛豊俊の奥書(識語は二9と同文)がある。二8の直接の転写本ではなく、寛永二十年観世彦三郎元貞筆信光画像讃(観世新九郎家 二9)からの転写らしい。
  • 江戸初期筆『小次郎系図』 (15)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴半紙本(258×187mm)。紺表紙。斐紙書題簽「小次良系図」。慶安二年観世宗兵衛豊俊筆『小次郎系図』(観世新九郎家 二11)と同題ながら、本書の内容は慶安二年観世元信筆『観世家系図註』(観世新九郎家 二10)と同じく観世小次郎画像讃の和訳。奥書なし。
  • 延宝頃筆「観世大夫・金春大夫・観世脇・小鼓次第之事」 (7)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(240×170mm)。共表紙に「観世太夫次第之事/同脇次第之事/同小鼓次第之事」と題記。観世大夫・金春大夫・観世座脇方・同小鼓方の順に歴代の大夫、主な役者の略歴を連ねる。正保元年元信筆「観世大夫次第・金春大夫次第」の写しに相違ない大夫の分は名を連ねるのみ。脇・小鼓の分も簡略。貞享四年・元禄二年の年号も見えるがそれは後人加筆の分で、原形は延宝頃の本と認められる。全体が加筆の疑いのある両大夫の分以外は元信筆の可能性もある。
  • 正保元年元信筆「観世大夫次第・金春大夫次第」 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 延宝頃筆「観世大夫・金春大夫・観世脇・小鼓次第之事」(観世新九郎家 五15)の表紙裏に貼り付けの一枚物(165×448mm)。観世大夫は観阿弥から「当左近」(重成)まで(後に重清分の「当左近」を加筆)、金春大夫は禅竹から「当八郎」(元信)まで。法名または通称を列記する。末に「正保元極月晦日 観勝右衛門元信(花押) 観世次兵衛殿まいる」と奥書がある。観世次兵衛は「御能組并狂言組」(観世新九郎家 五22)の役者付によれば観世座の小鼓方。
  • 延宝元年林春斎識「小鼓紫調記」 (12)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 高さ280mmの巻子本。萌黄地草模様織出し布表紙に「紫調記」と書いた題簽がある。見返し金砂子紙。紫紐。牙軸。料紙は厚葉の斐紙で、裏面全体に金銀泥で雲模様などを画いた豪華な装幀。延宝元年十一月十日に六代目の観世新九郎豊重が江戸城での能に際し紫調を許されたことについて、小鼓観世家の由来、紫調の栄誉などを漢文体で綴った讃詞。末に楷書の本文とは別筆で「延宝元年癸丑十二月/中旬弘文院林学士記(朱印「竹牖」・朱印「東□□□」)」と奥書があり、道春の子の林春斎の文。長さ約5m。
  • 天保六年松浦静山識「小鼓紫条記」 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 延宝元年林春斎識「小鼓紫調記」(観世新九郎家 二11)の付属文書。美濃紙一枚。十代目新九郎豊綿が文化十三年四月に紫調を許された後に、鼓の弟子だった松浦静山を通じて林述斎に紫調記の述作を乞うたが、多忙により実現しないうちに豊綿が文政八年に歿した。後嗣十二代豊紀の願いによってその間の事情を松浦静山が漢文体で記述した文書で、末に「乙未春三月 松浦静山識」とある。静山の自筆か否かは不明。包み紙によれば「林家より松浦家ヱノ復翰」一通が同封されていたらしいが、今はない。延宝元年林春斎識「小鼓紫調記」(観世新九郎家 二11)の箱に同置されている文書。
  • 享保二十年林信充識「小鼓紫調記」 (8)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 高さ297mm、長さ3m余の未装巻子本。料紙は薄葉斐紙。享保二十年四月七日の殿中能に八代目新九郎恭豊が紫調を許されたことを記念し、林信充が小鼓観世家の由来、紫調のいわれ、歴代の紫調認可のことなどを漢文体で記述したもの。末に「享保二十年乙卯八月中旬 従五位下大学頭林信充識」とある。信充の自筆か否かは不明。巻子本に仕立てるつもりの清書らしい。
  • 貞享頃筆「観世方小鼓名人之次第并子孫弟子万聞書」 (8)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(237×168mm)。共表紙に「観世方小鼓名人之次第并子孫弟子万聞書」と題記。現在は裏打ち・表紙を付して改装。観世座小鼓方の主な役者とその芸系、及び歴代、門弟の系譜を釣書の形で示す。全六丁の小冊ながら小鼓方系譜資料として有用な書。末尾に禁中能大夫渋谷家の釣書もある。元禄二年の書込みがあり、それ以前の書写。表紙裏に幕末頃の豊成の考証覚書もある。
  • 金春祖先に関する書付 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 貞享頃筆「観世方小鼓名人之次第并子孫弟子万聞書」(観世新九郎家 五16)の付属文書。一枚物(157×396mm)。毘沙王権守・毘沙王次郎・金春弥三郎・金春三郎についての書付で、末尾に「右者浄元書物如此御座候」とある。浄元は金春八左衛門安喜の法名。首部に鼓筒に関する書付も見られる。
  • 観世新九郎豊成筆「両観世家関係覚書」 (11)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴小型本(165×122mm)。共表紙に「観世大夫方之習事相手小鼓者新九郎方ニ限ルト云訳書」と題記がある。奥書は無いが幕末の豊成筆に相違ない。室町末期の観世大夫元忠と弥次郎長俊の関係や、江戸初期の新九郎家から観世大夫重清への習事相伝に触れ、観世大夫の習事の相手の小鼓は新九郎流に限られ、新九郎流は観世大夫以外の相手をも勤める事の当然性を主張している。当時の観世大夫清孝が幸清流を用いたことへの不満などが背景らしい。『銕仙』昭和42年6月号に全文翻印。
  • 享保六年観世新九郎恭豊「由緒書」 (14)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴横帳(145×394mm)。共表紙。享保六年書上の草稿で、末尾の「別紙」の分はない。袋上書「恭豊由緒書 一冊入」。恭豊筆か否かは不明。汚損のはげしい本。
  • 林道春筆短冊 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 薄紫色短冊。「太公一起鬂霜侵三顧頻諸葛/心此道並行不相悖芦花風月 林道春(印)」。袋紙に「林羅山先生筆」とある。
  • 弘化四年観世新三郎『由緒書』 (43)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(248×168mm)。共表紙に題記。観世又次郎重次以来の歴代の由緒書。末尾に「弘化四年未年十二月 観世新三郎」とある。草稿で、訂正や貼紙による追記が多く、朱筆も混じる。表紙見返し、朱筆の一部、末尾の惣領観世小太郎についての追記は豊成の筆。
  • 弘化四年観世新三郎『由緒書』(明治三年加筆) (54)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(248×170mm)。共表紙に題記。弘化四年観世新三郎『由緒書』(観世新九郎家 五42)を清書した形で、追記の類も本文に生かされている。墨筆や朱筆の加筆・訂正があり、末の弘化四年の年記・奥書を朱線で消し、「明治三庚午年閏十月 観世新九郎(花押)」と朱筆奥書がある。
  • 江戸末期筆観世新九郎『由緒書』 (18)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(249×170mm)。共表紙に題記。年記は無いが嘉永六年以降の由緒書。弘化四年観世新三郎『由緒書』(観世新九郎家 五42)・弘化四年観世新三郎『由緒書』明治三年加筆(観世新九郎家 五43)とは内容を異にし、享保六年書上を参照した形で、俊増大夫・幸松次郎・宮増五郎・美濃権頭・宮増親賢、以下歴代の順。豊次・重次の項がすこぶる詳細。
  • 弘化二年佐藤忠次郎『先祖書』 (12)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(243×172mm)。共表紙に題記があり、また左下に「小普請組堀田主税支配 佐藤忠次郎」とある。末に「十二月 佐藤忠次郎 巳三十六歳(花押)」とあるが、内容から見てこの「巳年」は弘化二年に相違ない。佐藤家は新九郎家六代の新九郎豊重の三男で、元禄二年に御廊下番に召し出された佐藤権之助豊恭の家。権之助豊恭―又三郎豊住―金三郎忠恕―金之丞忠理―鉉次郎正苗―忠次郎隆都と続いたことが本書から知られる。
  • 嘉永元年九月十七日付、南部文蔵書状 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 弘化二年佐藤忠次郎『先祖書』(観世新九郎家 五45)の付属文書。一枚物(161×405mm)。観世新三郎宛の南部文蔵の書状。佐藤忠次郎が小普請組土岐信濃守支配である旨を返答したもの。南部は四谷伝馬町岡部藤兵衛臣。
  • 明治三年観世新九郎豊成筆『由緒書』 (5)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(242×162mm)。無表紙。静岡県在住時代の由緒書で、弘化四年観世新三郎『由緒書』(観世新九郎家 五43)の明治三年加筆部分を更に訂正した形。新九郎豊成の分と三代の又次郎重次と四代の新九郎豊勝の分のみで終り、末に「元本由緒書十枚目ノ表ヘ続ク」と注する。
  • 明治三年観世新九郎豊成筆『親類書』 (5)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(228×155mm)。共表紙に題記。十五人の親類の名を配列し、末に「明治三庚午年壬十月 観世新九郎(花押)」とある。共表紙の裏に、心覚えのために書き留めたもので書上の控ではない由の豊成自身の注記がある。
  • 明治三十六年宮増豊好筆『宮増家系図書』 (12)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴中本(193×142mm)。草模様表紙。黄色題簽。厚紙の帙に「宮増系図」、題簽に「宮増氏系図写」とある。内題「宮増家系図書」。薄葉紙を用い、新九郎家の釣書系図を記す。宮増親賢から宮増豊好まですべて宮増姓にし、元信を五代目に数える。首部に「明治卅六年七月調査訂正記ス」とある。明治三十六年宮増豊好筆『服部家系図書』(観世新九郎家 五50)と一対。
  • 明治三十六年宮増豊好筆『服部家系図書』 (8)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴中本(195×146mm)。白表紙。斐紙題簽。厚紙の帙に「服部系譜略 全」、題簽に「豊好補正 服部家略系譜 全」とある。内題「服部家系図書」。新九郎家の別家たる観世惣兵衛家の系図で、明治三十六年宮増豊好筆『宮増家系図書』(観世新九郎家 五49)と同書式。信光を初代、豊俊(事実上の初代)を六代目とし、十代目が服部照国、通称小錦治。
  • 元文四年田原清助奥書『服部氏先祖霊名考』 (10)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(239×172mm)。共表紙に題記。京都紫野の瑞光院と寺町の乗願寺の位牌や過去帳に記載されている観世新九郎家の関係者の法名と忌日を列記し、誠心院の石塔八基と乗願寺の石塔三基の図も添える。末に「右於京都御先祖霊名書付差下シ申候 尤年月相知れ不申候義有之候 重而相考吟味仕 相知レ申候ハヾ追而可申進候 以上 元文四年未七月 田原清助」とある。
  • 天保十年宗栄筆『御過去帳うつし』 (14)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴横帳(106×273mm)。共表紙に題記。別に「天保十年亥九月廿三日 宗栄書」「豊成改」とある。観世新九郎家過去帳(観世新九郎家 五52)に基づいて整理した書。全体に豊成の書入が多く、共表紙裏には天保十三年の豊成の注記(不明の人物についての考証など)があり、朱筆で「此以後当家ノ過去帳ノ中へ他家ノ霊名等書交ベカラズ」とある。
  • 天保十三年観世新三郎豊成筆『先祖代々霊名控』 (48)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴中本(215×136mm)。共表紙に題記(傍書「其外色々留書」)と「天保十三壬寅年七月二日書之 観世新三郎(花押)」などの墨書がある。観世大夫家代々戒名等、新九郎家代々戒名等、その他法事関係の記録や寺院への付け届けなど雑多な内容。豊成の筆。安政頃の追加記事も多く、末部の「先祖等年忌繰出覚」の項には明治三十八年の追記もある。
  • 観世大夫清長室忌日・戒名書付 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 天保十三年観世新三郎豊成筆『先祖代々霊名控』(観世新九郎家 五54)の付属文書。
  • 寛文六年観世新九郎豊重署名 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 天保十三年観世新三郎豊成筆『先祖代々霊名控』(観世新九郎家 五54)の付属文書。
  • 天保十二年岩井七郎右衛門書状断片 (3)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 天保十三年観世新三郎豊成筆『先祖代々霊名控』(観世新九郎家 五54)の付属文書。大徳寺瑞光院への位牌供養料について。新九郎家と京都の菩提寺との連絡に当たっていたのが岩井七郎右衛門。
  • 安政二年七月十日付法事料清光院請取書 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 天保十三年観世新三郎豊成筆『先祖代々霊名控』(観世新九郎家 五54)の付属文書。
  • 区長梅田義信宛服部小錦治届出下書 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 天保十三年観世新三郎豊成筆『先祖代々霊名控』(観世新九郎家 五54)の付属文書。
  • 江戸後期筆「享保六年書上」 (162)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 横帳(142×416mm)。薄葉紙の折紙綴。共表紙左端部に「享保六辛丑年就御尋仲ヶ間中書上候扣」とある。享保六年書上の名で呼ばれている能楽諸家からの書上の集成で、省略が比較的少ない善本。能の起源や作者、家系・拝領物、曲目、その他広範な内容で、作者付として著名な「観世大夫書上」はその一部。
  • 慶応三年筆「御能組并狂言組」 (96)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴横帳(140×386mm)。共表紙。無題。寛文初年以前と推定されている能楽諸家の演目と習事の書上(寛文書上)が主体。該部分は能楽研究所蔵の「御能組并狂言組」全三冊とほとんど同内容。その後に五座の役者と紀伊殿役者・水戸殿役者の名を連ねているのが特色で、この役者付は曲目書上より数年早い明暦三年頃のものと認められ、江戸期の能役者付としては最古のものであろう。宝生座の分に役名の脱落があるのが惜しまれる。末尾に「貞享五戊辰年八月日」「慶応三丁卯年十二月日 写之」とあり、貞享の分は親本の年記と思われる。
  • 江戸末期筆『一調書上』 (9)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴中型横本(139×203mm)。共表紙中央打書外題「一調書上」、左下に「観世新三郎」。一調・太鼓事一調・神楽一調・乱曲独吟一調・一調一声・一調一管の曲目書上。朱の加筆がある。年記がないが天保末年頃のもの。
  • 安政二年豊成奥書『諸流書上謡曲目録』 (154)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴中型横本(165×195mm)。水色地格子模様表紙。金砂子散らし題簽。料紙薄葉紙。外題「諸流書上謡曲目録」。シテ方諸流の能・習事・囃子・仕舞・独吟・乱曲の書上。観世鉄之丞(嘉永五年七月)・金春大夫(嘉永二年三月)・宝生大夫・金剛大夫。喜多六平太(天保十五年六月)・大蔵庄左衛門の諸家の分。宝生大夫分には書上提出後に六曲(いずれも弘化勧進能の演目)を新たに所演曲に追加する旨の宝生大夫友于の追記記事が豊成の筆によって書き込まれる。末に「安政二乙卯年八月良辰 豊成(朱印「催華堂蔵書」)」と奥書がある。観世鉄之丞から借用して写した由を、挟み込んだ別紙に記す。
  • 文久二年豊成奥書『諸流書上 狂言目録』 (168)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴横本(169×236mm)。水色地格子模様表紙。絵入り題簽。外題「諸流書上狂言目録」。鷺仁右衛門の名寄(狂言・習事・風流・替間・語・小舞)、鷺仁右衛門の「狂言并間あど名目書」、大蔵弥右衛門の「名寄并名目書」(狂言・語・小舞・風流・間。十月付)、大蔵千太郎の「狂言并間アト名目書」(九月付)、大蔵八右衛門の「狂言名寄」(天保十五年六月付)・「狂言名寄」(無年記)・「狂言アト順名目付并絵釈御座候狂言之分」・「狂言間習事」(天保十五年六月付)・「狂言アト名目付」(無年記)・鷺伝右衛門の「狂言アト名順書」(戌八月付)の各種書上を合写した末に「文久二壬戌年正月十五日 豊成(朱印「催華堂蔵書」)」とある。
  • 狂言目録につき文久二年豊成覚書 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 文久二年豊成奥書『諸流書上 狂言目録』(観世新九郎家 五27)に挟み込みの一枚物(106×135mm)。大蔵弥右衛門・鷺伝右衛門の名乗りについての豊成の見解を記し、鷺伝右衛門の書上が嘉永三年ものと考証する。
  • 文久二年豊成奥書『古今謡曲名寄』 (50)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴中型横本(133×191mm)。水色地格子模様表紙。金砂子散らし題簽。料紙薄葉紙。外題「古今謡曲名寄」。安政二年豊成奥書『諸流書上謡曲目録』(観世新九郎家 五26)と同装。イロハ順の謡名寄。見出(目録)の後に、「左にあつむところの謡名寄は家の古書によつて見やすからんためかくはなせしものゝ、同物異名あまたあるまにまにしるし侍りぬれハその数のいや多くこそみゆれ。またもとより文字のわかたさるハ本書の侭かなかきにしるす。されハ文字ハたしかなれと義理のわかたさるハ疑のまゝあらハし置ぬ。いつの日かたしかなるものになさまくほしくおもふになん 文久二壬戌年霜月良辰 豊成(朱印「催花」)」とあり、末尾にも同年記の奥書がある。別名や国別をも注記する。約千八百番。
  • 古今謡曲名寄曲数書付 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 『古今謡曲名寄』(観世新九郎家 五28)に挟み込みの一枚物(157×400mm)。イロハ別に同書収載曲の曲数を書き、「惣〆千八百弐拾七番也」と言う。異名同曲の多き由をも注する。
  • 文久二年豊成筆『元章改正伝授目録』 (23)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴中型横本(132×191mm)。水色地格子模様表紙。打曇り題簽。外題「元章改正伝授目録」。料紙薄葉紙。安政二年豊成奥書『諸流書上謡曲目録』(観世新九郎家 五26)、文久二年豊成奥書『古今謡曲名寄』(観世新九郎家 五28)とほぼ同装(題簽小異)。十五代観世大夫元章が明和改正謡本刊行と併行して定めた伝授事の目録。末に五28と同年記の奥書がある。内題の角書と末尾の「元章改正伝授目録畢」と奥書のみ豊成の筆で、本文は別人の筆らしい。
  • 江戸後期筆『御公儀上リ申候鼓方囃上中下覚』 (12)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴横帳(143×411mm)。共表紙。無題。「御公儀上り申候鼓方囃上中下覚」と首書し、種別(脇能~七番目、及び習物)に分けた約一五〇番の曲に、上々・上・中上・中・下などの位付を頭書する。慶応三年筆「御能組并狂言組」(観世新九郎家 五22)の曲目書上と曲名・位付はほとんど一致するが、曲順は異なり、若干の誤脱がある。
  • 観世新九郎豊重所持「小鼓紫調記」 (10)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴大本(308×227mm)。共表紙。無題。延宝元年の小鼓紫調記(観世新九郎家 二11)の写しであるが、詳細に訓点を加える。表紙見返しに弘文院林学士が紫調記を作文した事情、末尾に翌延宝二年五月に宝生大夫の〈関寺小町〉の小鼓を命ぜられたことが注記されており、豊重の所持本らしい。本文は注記と別筆。料紙が厚葉楮紙で、全八丁。
  • 木下藤吉郎秀吉書状考証 (9)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴美濃本(269×195mm)。黄茶色表紙。無題。秀吉から観世小次郎に宛てた書状(観世新九郎家 三10)を模写し、その後に、信長・秀吉と小鼓の関係などについて考証した書。秀吉の筆跡を多く蔵するという人(新九郎家の弟子筋の大名か)の著の写し。江戸末期の書写。
  • 天明三年『御役者分限帳』 (23)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴中型横本(140×202mm)。共表紙に「御役者分限帳」と題記。天明三年当時の五座と新組・触流の全能役者・役人の氏名と禄高を記す。「惣合三百四拾四人」とある。原本奥書「天明三癸卯林鐘初旬 松井慶次郎帳面ニ而写之」。書写奥書「右壱冊大蔵氏より借用 元治元甲子年卯花月上旬写之 筆者 中西芳之助」。中西は仙台藩の御抱え役者で、豊成の弟子。別に「芝 観世氏」と豊成の署名もある。
  • 嘉永四年豊成筆『当家取高之覚』 (8)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴中型横本(137×203mm)。共表紙に貼紙をして「当家取高之覚」と題記、同じく貼紙で右肩に「嘉永四亥年 十月書之(陽文円印「催華堂」)」、左下に「豊成(花押)」。地方・切米・配当米・扶持米の四項に分けて、それぞれの受取り高や手続き、札差料等の諸経費などを詳細に記録する。松平出雲守からの七人扶持、小笠原大膳大夫からの三人扶持、松平美濃守からの五人扶持のことを貼紙で追加。全体が豊成の筆。「当家知行取高之覚」と書かれた紙袋入り。
  • 弘化五年筆『御出入屋敷向手控』 (10)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴小型升型本(105×130mm)。共表紙に年記がある。観世新九郎が出入りしていた大名家四十余家の住所や位置、用人等の氏名、連絡依頼の能役者名などを書き連ねた手控え。全十丁。
  • 安政四年『門弟方より問合事留書』 (8)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 小型横本(134×190mm)。袋綴。茶色表紙に「門弟より間合事留書」と題記。芸事の不審につき加州の湯浅平次、尾州の高田伊右衛門、松戸の松浦乾斎から問い合わせてきたことへの返答を書き留めたものたもの。慶応四年の高田善次郎への返答、明治初年出京後の大塚村田中勝次郎宛無心状の案文を書き加える。加筆部分は豊成の筆。
  • 天保・慶応『御役者姓名控』 (12)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴横帳(105×272mm)。共表紙の題記の左右に「天保十三壬寅年五月吉日 観世新三郎」とあるが、後半に慶応二年七月改めの分をも書き加えてある。五流の家元クラスの父子の名のみを連ねた交名。天保分は42名。慶応分も42名。豊成の筆。
  • 江戸後期筆『文禄禁中御能組』 (12)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴小型本(168×118mm)。共表紙に「文禄禁中御能組」と題記。文禄二年の禁裏御所での豊臣秀吉らの演能の番組。末に舞台略図あり、前田利家(羽柴筑前守)分をすべて秀吉演能と誤る。
  • 観世元章編『将軍宣下御能目録』 (41)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴美濃本(270×188mm)。浅葱色表紙。朱色題簽。徳川歴代将軍の将軍宣下祝賀能の詳細な番組。役者の諱・年齢を注記している場合も多い。慶長八年の家康(三日間)から宝暦十年の十代家治(五日間)までの分。装訂も書式も観世宗家蔵の『雲上散楽会宴』(禁裏能の番組集)と同じであり、同書と同じく観世元章編と見られる。江戸末期筆『将軍宣下御祝儀御能組』(観世新九郎家 五38)を書写するために観世宗家から借り出したままになった本であろうか。
  • 江戸末期筆『将軍宣下御祝儀御能組』 (70)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴半紙本(220×150mm)。水色地格子模様表紙。斐紙題簽。観世元章編『将軍宣下御能目録』(観世新九郎家 五37)の転写本。数十丁の余白紙を残し、裏表紙見返しに「豊成(花押)」と署名がある。
  • 「観世新九郎豊成父子出勤番組控」 (79)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴小型横本(133×190mm)。青表紙。豊成と小太郎父子が出勤した公儀関係の番組集。嘉永七年閏七月から幕末まであり、末部に明治十一年六月以降の青山御所での能の番組(十三年四月まで)をも付載する。番組以外の関連記事も若干ある。
  • 明治二年大蔵千太郎虎長筆『両御神事記億』 (18)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(238×167mm)。共表紙の貼題簽に「明治元辰冬/同二巳年春 両御神事記億 完」とある。明治元年十一月二十七日の春日若宮祭に金春一座のみで参勤(松之下式と御旅所の翁。後日能はなし)した際の諸記録と、翌明治二年二月の薪猿楽に金春座が参勤した際の記録。願書の控や当日の装束付・番組など、かなり詳細で、明治初年の南都両神事の実態を知る好資料。末に「明治二巳年二月十五日 於奈良記之 大蔵千太郎虎長(朱印)」と奥書がある。薪能には観世小太郎(豊好)も出勤している。
  • 江戸末期筆『諸記録』 (38)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴中型横本(133×190mm)。共表紙に題記。家蔵の断片的古記録を前後不同に書写した由の前書があるが、筆者不明。新九郎家歴代の紫調免許と鼓預りについての書上(安永以後)、享保十一年西丸奥御用出仕の際の起請文前書、元禄六年伊勢太神宮へ豊房奉納の筒についての書付(宝暦二年の文書)、天保十四年正月付幸五郎次郎より触流しあて願書、天保五年大蔵弥太郎養子退身、及び同年大蔵千太郎芸道相続の際の親類弟子連名文書、文政十三年奥御用出仕の際の起請文前書、嘉永六年嶋屋吉兵衛あて願書(水戸家出入についての依頼)、弘化四年宝生大夫あて願書(田安家出入についての依頼)、その他各種の文書を写す。慶応四年の分が最も新しく、これは別筆らしい。末尾の刀・脇差に関する記録のみは豊成筆。
  • 『武蔵国葛飾郡之内人数帳』 (4)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 一枚物(285×429mm)三枚。もとは包背装だったようで表紙に割り印が残る。観世新九郎が御勘定所に提出した領内の人数帳の写し。安永三年の分(55人)一枚と、文政五年の分(41人)一枚。
  • 『嘉永四年改正高反別帳』 (84)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴横帳(140×405mm)。共表紙に題記。嘉永四年に領地検分に赴いた新九郎家内の稲垣松三郎と、大塚村の名主(小市右衛門・辰之助)の間に取り交わした新規の反別帳。計十七筆で、各人別の田畑が詳細に記録される。取石合弐拾七石六斗九合、取永合八貫九拾七文。
  • 嘉永三年序『知行所之記』 (92)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴美濃本(271×195mm)。布目入り茶色表紙。白題簽。上質の楮紙を用いた厚冊。観世新九郎家の知行所たる武蔵国葛飾郡幸手領大塚村(拝領高八十二石、物成詰込高八十八石余)の百姓が、嘉永二・三年と連続して出水を理由に年貢大幅減免を願い出たのを機に、弟子の稲垣松三郎と蔭山俊蔵を派遣して実情を調査せしめ、知行所の管理・年貢収納などについて新たに制度を定めた際の、諸記録の集成。冒頭に嘉永三年十月の観世新九郎豊成の「改法序書」、ついで享保十二年に大塚村を拝領し、翌年に諸手続を完了した際の諸文書の写し、嘉永三年の百姓との間に取り交わした諸文書や新たに定めた事項の写し、嘉永四年に稲垣松三郎が現地で取捌いたことの報告、関連諸文書の写しなど。末に「改格年以後年々収納米代等金高略留之口」(安政二年まで)、その他嘉永以降の記事が追記され(以上同筆)、最末部の万延元年・子年(元治元年)の記事は別筆。新九郎家の領地関係の基本資料。
  • 万蔵所持田質物渡につき覚 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 嘉永三年序『知行所之記』(観世新九郎家 五57)の付属文書。折紙(121×330mm)。嘉永六年正月、万蔵所持の田地が質物渡によって所有者が変更になった旨の覚。
  • 「大塚村田畑定免割付」 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 嘉永三年序『知行所之記』(観世新九郎家 五57)の付属文書。一枚物(162×524mm)。松下伊久間知行所の年貢高を田畑の種別に記載する。同人方用人柘榴万兵衛から稲垣松三郎が貰い受けたもの。新九郎家知行所の年貢が比較的低かったことが知られる。
  • 慶応三年『武蔵国葛飾郡之内郷村高帳』 (6)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(272×191mm)。慶応三年八月付で観世新九郎豊成から観世大夫を通して御勘定所へ提出した書類の控。安政四年から慶応二年までの十年間の、年貢収納高の報告。平均が米拾七石余、永七貫余。
  • 元治元年豊成奥書『謡曲仮面抄』 (39)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴中本。水色地格子模様表紙。朱色模様入り題簽。仮面名始(出目仲満志秘書)・仮面譜(喜多古能著)・観世方方面(寛永十年識語)・金春方作面・金剛方面・宝生方面(以上三種は寛文元年宗与在判の文書の写し)等の能面関係諸書の合写。「右仮面譜之書、当流家ヲ続一子之外、他見有間敷者也」の識語と、「元治元甲子年八月良辰写之 豊成(印)」の奥書とが、別々にある。
  • 仮面名始に関する豊成書付 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 元治元年豊成奥書『謡曲仮面抄』(観世新九郎家 六9)に封入の文書。『謡曲仮面抄』所収の「仮面名始」が、文政十二年八月大蔵弥太郎虎文奥書本を大蔵千太郎より差越し、元治元年に写したものである由を記す。
  • 仮面譜に関する書付 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 元治元年豊成奥書『謡曲仮面抄』(観世新九郎家 六9)に封入の文書。『仮面譜』成立年代に関する豊成の考証。
  • 慶応三年豊成奥書『仮面作者附』 (16)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴中型横本。共表紙に題記。内題「仮面作人」。ほとんどは喜多古能の『仮面譜』と同内容ながら、末尾に同書にない記事があり、「代々花押」をも付載した末に「于時文政十二己丑年七月調」とある。書写奥書「慶応三卯年十一月日写 豊成」。
  • 仮面書四種に関する書付 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 慶応三年豊成奥書『仮面作者附』(観世新九郎家 六10)に封入の文書。豊成所持の四種の本に関する書付。末に「慶応三丁卯年十一月記置 豊成」とある。
  • 寛永十八年元信筆「小鼓故実書」 (25)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴大本(285×200mm)。共表紙の表に目録、裏に識語(寛永拾八暦初秋十二日 重俊(花押))があり、「服部長吉殿まいる」などの追記もあって、観世勝右衛門元信筆『四座役者目録』(観世新九郎家 五1)・正保四年観世元信筆『観世家系図』(観世新九郎家 五9)・慶安二年観世元信筆『観世家系図註』(観世新九郎家 五10)と同じく元信(初名重俊)が子の長吉に相伝した本の一つ。共表紙余白に「二冊之内 下」とあるが、上冊に相当する書は散佚したらしい。小鼓荒胴コノミツカスルヤウノ事、ツヾミ所々ノ名ノ事、筒ツキ名ノ事、名胴ノ名・作者之事、革ノ事、カケヤウノ事、縮物之事、スワウヌギヤウノ事、染ヤウノ事、ツヾミ袋ノ事、同箱ノ事、床木ニカケヤウ、小サ刀サシヤウノ事、スワウキテツヾミ打ヤウノ事など、鼓関係の故実説をやや雑然と書き連ねる。全22丁。末尾にも朱筆で「寛永拾八孟秋六日 観世勝右衛門重俊(花押)」と奥書がある。
  • 江戸中期筆『大小之図式』 (11)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴大本(284×207mm)。共表紙に題記。奥書なし。小鼓手内方・小鼓結目方・大鼓之図を彩色で画いて説明した後に、小鼓調仕掛様之事、大鼓仕掛様之事、青襖小刀床机掛様之事、囃子之時鼓取様之事、〆物解様之事、床机ニ掛ル事、素袴仕様之事、式三番御前ニテ打様、鼓箱袋之事などの故実説を連ねる。
  • 観世新十郎豊政筆『鼓之筒之見用之事昔名判ノ覚』 (8)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴横帳(145×400mm)。共表紙打付書外題、左下に「観世新十郎」の署名あり。「筒之作覚」と「新作」の項に分け、鼓胴の作者名ごとに、金額と特徴を注記する。後半は次郎大夫国忠以下九名の囃子方の花押を集める。奥書が無いが、元禄五年宝生弥三郎信堅筆『筒見合判鏡之覚帳』(観世新九郎家 六4)によって豊政筆であることが知られる。豊政は天和二年殁。
  • 元禄五年宝生弥三郎信堅筆『筒見合判鏡之覚帳』 (8)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴横帳(148×400mm)。観世新十郎豊政筆『鼓之筒之見用之事昔名判ノ覚』(観世新九郎家 六3)とほぼ同装、同内容。六3を忠実に写した後に「右観世新九郎書置候ヲ書写者也 元禄五年申ノ六月廿一日 宝生弥三郎信堅(花押)」と奥書がある。また奥書のあとに豊勝・豊重・豊政・豊房の花押を追記する。信堅は豊政の弟。
  • 江戸後期筆『筒之覚』 (10)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴小型横帳(83×153mm)。水色模様表紙に打付書外題。新九郎家所蔵の小鼓胴の名称(塗りや蒔絵)と作者名の記録。宝暦四年の年記があり、その頃の文書。
  • 嘉永元年観世新三郎豊成筆『道具類留書』 (15)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴小型縦長本(170×85mm)。青表紙に題記。料紙は薄葉紙罫紙。壱挺入鼓箱・床几・小鼓筒・拝領筒の目録と、御預り御鼓ヲ乗ル箱之寸法書、松平右近将監殿鼓箱之銘。江戸後期筆『筒之覚』(六5)を参照しており、末に嘉永元年孟夏の豊成の奥書がある。
  • 鼓筒七種書付 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 嘉永元年観世新三郎豊成筆『道具類留書』(観世新九郎家 六6)の付属文書。一枚物(154×175mm)。豊紀の署名がある鼓胴作者の覚書。
  • 万延二年豊成奥書『鼓筒名鈔』 (42)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴半紙本(222×152mm)。格子模様表紙。打曇り題簽。六1~6など家伝の書物から鼓胴に関する記事を抄写し、集成を意図した書。末に「万延二辛酉年孟夏良日 豊成(印)」とあるが、その後に書き加えられた記事もある。作者や名物胴についての記事が多い。
  • 文久元年豊成奥書『楽器鈔』 (19)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴美濃本(272×190mm)。格子模様表紙。黒枠題簽。楽笛名物目録、諸家伝来の能笛の目録、小鼓・大鼓紫調御免役者の記録、諸家伝来小鼓名物筒目録、鼓作者名、大鼓・太鼓名物筒目録など、楽器関係の故実を集めた書。奥書「文久元辛酉年八月良辰 豊成」。
  • 弘化三年豊成奥書『倭楽抄』 (14)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴中本(197×138mm)。紺表紙。白題簽。「宝永庚寅中秋日 源良顕識」と識語のある猿楽縁起説の写し。庚寅は宝永七年。源良顕は跡部良顕か。末尾に「弘化三丙午年林鐘吉日 豊成(印)」と奥書がある。
  • 嘉永七年豊成奥書『秦曲正名閟言』 (97)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴美濃本(274×190mm)。紺表紙。黒枠題簽。宝暦十年序跋、北門氏渤海茂兵衛著の版本『秦曲正名閟言』の影写本。奥書「嘉永七甲寅年林鐘良辰 豊成(印)」。
  • 慶応三年高安澄信『猨楽愚考』 (14)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(247×168mm)。共表紙に題記。「援楽」「散楽」「さるがう」について考証した書。末に「慶応三丁卯年十二月 浪華住人 三世高安澄信」とあり、別に豊成の筆で「右之猨楽愚考一冊ハ大蔵虎長門弟高安又市ト云人ノ父ノ述タル書也」とある。
  • 文久元年豊成奥書『翁立之伝受』 (10)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(232×155mm)。共表紙に題記。流布の多い「申楽翁大事」系統の式三番縁起説で、末に「宝永四丁亥年秦正良辰」とある。別に「右之本書者当家前代より持伝タル所、殊之外虫喰テ中ニハ文字ノ見分リ難キ所抔有之候故、其所ヲ闕字致シ写シ置者也 文久元辛酉年五月良辰写改 豊成(印)」と書写奥書がある。
  • 文久二年六月豊成筆「翁立之伝受につき書付」 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 嘉永七年豊成奥書『秦曲正名閟言』(観世新九郎家 六13)の付属文書。一枚物(162×282mm)。文久元年豊成奥書『翁立之伝受』(観世新九郎家 六15)の闕字や誤字などについての考証。
  • 元治元年豊成奥書『猿楽伝記』 (50)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴美濃本(263×183mm)。薄茶縞模様表紙。黒枠題簽。『猿楽伝記』の一異本。内題は「申楽伝」。末に「右猿楽伝記ハ其原何人ノ編集シたる者にや。実にたしか成ものにもあらねど、事にふれて何彼の見合セ心得にもなるべき事もやと、不図見当りしを幸イに又誤字なども有様なれど、只其儘に写し置ぬ。もっとも虚説の多きといふ由ハ、彼嬉遊笑覧といへる書にもいひてあれば、そをよく心して見るべき者也 元治元甲子年林鐘上旬 観世豊成(印)」とある。上欄の見出しなど元治元年豊成奥書『倭楽伝記』(観世新九郎家 六17)を参照して後に加筆したらしい点もある。
  • 狂言関係書付 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 元治元年豊成奥書『猿楽伝記』(観世新九郎家 六16)の付属文書。大蔵家、脇本家と狂言初りについての書付。
  • 元治元年豊成奥書『倭楽伝記』 (92)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴半紙本(221×148mm)。水色地格子模様表紙の左上に題簽。『猿楽伝記』の一異本。元治元年豊成奥書『猿楽伝記』(観世新九郎家 六16)を参照してはいるが別の本が底本らしい。末に六16に似た識語(冒頭が「右倭楽伝記は普通に猿楽伝記と云る書にて、本誰人の…」となる)があって「元治元甲子年初秋中旬 秦豊成(印)」とあり、その後さらに「元治元甲子年文月中旬写之 催花堂蔵書」と書写奥書がある。
  • 倭楽伝記につき書付 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 元治元年豊成奥書『倭楽伝記』(観世新九郎家 六17)の付属文書。喜多長能と嬉遊笑覧に関する覚書が一枚(139×391mm)。新九郎家関係の記事の誤りの訂正が一枚(158×141mm)。
  • 倭楽伝記につき書付 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 元治元年豊成奥書『倭楽伝記』(観世新九郎家 六17)の付属文書。一枚物(157×85mm)。同書に見える「年豫」は「年預」なるべしとの説。
  • 「能ト云事之考書」等四種合綴本 (34)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(250×178mm)。「先代旧事本記之内抜書」(慶応元乙丑年仲夏豊成)、「貞丈雑記之内抜書」(小太郎豊好)、無題猿楽由来(明治四年頃大蔵虎年より贈られし筆)、「能ト云事之考書」(嘉永六癸丑年林鐘上旬観世新九郎豊成)の四種の仮綴本を合綴したもの。末の一冊は諸書からの能楽起原説関係の抜書。
  • 前田斉泰撰『能楽記』 (6)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(242×165mm)。共表紙に題記。芝公園能楽堂正面に掲げてある額に書かれていた明治十四年三月付前田齊泰撰の漢文体の文を書き写したもの。能の歴史を概説し、雅なる所以を説いた内容。朱筆で訓点を加えてある。
  • 豊成筆『催華堂雑記』 (96)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 袋綴半紙本(233×167mm)。薄茶色表紙。絹白題簽。催華堂は豊成の雅号。山東京伝の『骨董集』からの抜書、宣長の『古今集遠鏡』からの抜書、その他諸書からの抜書が主体で、内容は多岐に亘り、芸事・謡曲詞章に関する事項も含まれる。所領関係の書留、書物目録などもある。奥書なし。
  • 天保三年『御謡初御給仕書』 (12)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴中型横本(137×201mm)。天保三年正月三日の江戸城での謡初の記録。十七献の酒宴の次第と役人の名が主体で、芸事関係は一切書かれていない。共表紙左下に「松平伊織」とあるのが筆者か。
  • 江戸末期筆「正月三ヶ日営中酒宴次第・役人付」 (48)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴小型横本(131×188mm)。共表紙に「正月朔日」と題し、右端に「扣」「組頭」などとある。三ヶ日の江戸城内の酒宴・謡初の式次第と勤仕する役人名の詳細な控。人名から見て内容は弘化四年頃のもの。謡初の四海波は観世鉄之丞。
  • 豊成署名『年中衣服略記』 (8)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴小型横帳(61×174mm)。共表紙に題記。公儀関係の出仕日に着用する衣服を、月別・日別に小字で記したもの。末に「豊成」の署名がある。
  • 弘化四年江戸城出仕衣服につき覚 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 豊成署名『年中衣服略記』(観世新九郎家 六27)の付属文書。一枚物(215×240mm)。弘化四年精姫君祝儀につき江戸城に出仕の際の衣服を記した覚書。宝生流〈盛久〉についてのメモを併記。
  • 文化十年正月改『年中諸式控』 (29)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴横帳(121×342mm)。共表紙に題記と年記がある。観世新九郎家の年間の行事日(元旦・節句・晦日など)の料理献立や配り物等の目録。弘化元年の歳暮の進上分と到来分の品名・人名目録など。後年の加筆もある。
  • 天保十三年『年中行事』 (14)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴横帳(127×338mm)。文化十年正月改『年中諸式控』(観世新九郎家 六28)とほぼ同装。題記は「盆暮之覚」を書き直す。年記は「天保十三壬寅年 七月吉日」。内容も六28と同類であるが、朱筆をまじえた加筆が多く、詳細・雑然となる。表紙の追記に「此帳面ハ雑ト草稿故能々増補シテ本帳ニ認メ可置者也」とある。追記の類が豊成の筆。
  • 江戸末期筆『年中行事覚帳』 (49)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 小型横帳(75×163mm)。袋綴。青表紙に外題を打付書。『年中諸式控』(観世新九郎家 六28)、『年中行事』(観世新九郎家 六29)と同じく、新九郎家の年間諸行事に関する覚書。冒頭に「嘉永四亥年改此長ニ印置候を手本ニ致候事」とあり、慶応三年の記事まである。最終記事は「たくわん塩之覚」。
  • 安政五年筆『年中定例記』 (20)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴中本(206×132mm)。共表紙に打付書外題。また「安政五戊午書」「観世氏」「正忠書」ともある。七月から十二月までの定例行事や進物などの覚書。豊成の加筆が多く、筆者の正忠が、湯浅平次取立の門人稲垣松三郎(後に蔭山昌蔵)であることも、末に明記されている。
  • 正月二月定式事書付 (24)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 仮綴半紙本(237×162mm)。共表紙。題記なし。正月元日から三月三日までの観世新九郎家の定まった行事についての書留。幕末の書。
  • 鷹司政通筆短冊 (3)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 金銀泥雲模様刷りの薄い斐紙を短冊大に切ったものに「山露ひさかたの天の芳山あさつく日/霞たなひき春やたつらむ 政通」とある。包紙の表に「摂政関白太政大臣政通公短冊 服部家宝」とあるのは服部小錦治の筆。裏に朱で「豊照京都へ御使ニ罷出候節拝領」とある。豊照は文政九年殁。鷹司政通は天保以後永く摂政を勤め、明治元年殁。囃子に関心が深く、鼓胴や能関係の書物を多数収集したことで知られる。
  • 貞享三年拝領町屋敷図面  (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 48×74。芝新銭座町の拝領地の図面で、屋敷の間取り図と他人に貸した分の総図。屋敷に能舞台があったことも確認出来る。貸店の店賃を記すなど、詳細な内容。
  • 膳所城能舞台寸法書 (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高297ミリの巻子本。元禄十四年に新造された近江膳所城二之丸の能舞台に関する記録や図面を巻子に仕立てたもので、普請の経緯が詳細に記される。舞台は十一月に完成、十二月十六日に舞台開きが行われた。
    1. 全体  (1)
    2. 貼り紙箇所  (4)
  • 能御絵鑑 (2)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 能楽研究所蔵
    • 解題:  大型折帖。 表裏の両面に縦30×横36センチの能絵図を貼り付け、二帖合わせて150図を収める。 近衛家伝来。木箱の金泥書によれば、江戸中期の幕府御用絵師、狩野春湖の筆。収録図の曲目は喜多流のレパートリーと一致する。 その収録曲目や伝来などから、喜多流の能を学んだ六代将軍徳川家宣の周辺で制作され、家宣の妻の実家である近衛家に贈られたものと推察される。 面・装束・作り物の描写は精緻を極め、江戸中期の能の演出を研究する上でも貴重。
    1. 能御絵鑑 一  (84)
    2. 能御絵鑑 二  (84)
    3. 曲目一覧  一  (84)
    4. 曲目一覧  二  (84)
  • 江戸城本丸舞台之図  (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高271ミリの巻子本。奥書等なし。内題に「御本丸御能舞台」とあり、江戸城本丸舞台の平面図・正面図である。寸法入り。
  • 江戸城西丸能舞台寸法書  (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高263ミリの巻子本。能舞台の正面・平面図。「舞台覚」(各部寸法)、「七月三十一日宝生先生之送付西丸御舞台御有形瓶絵図」、「七月二十二日宝生先生ヨリ送付柱扣環寸法」などを記す。「舞台覚」には「亥八月二十四日」とある。
  • 観世・宝生・和泉殿能舞台寸法書  (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高276ミリの巻子本。真舞台、同真舞台、観世舞台、宝生行舞台、宝生草舞台、和泉殿舞台の各正面及び平面寸法図。末に六ケ条からなる舞台の故実を記す。
  • 寛延・文化・天保勧進能図巻  (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高265ミリの巻子本。寛延三年庚午三月筋違橋観世太夫興行場所絵図、同十四・十五日目番組。文化十三年閏八月幸橋観世太夫興行場所絵図。天保二年十月幸橋門外観世太夫興行場所図、同二十五日分全番組、出役衆廻文写、出役衆覚書写、勧進能出役之覚を合わせ、一巻に仕立てたもの。
  • 猿楽図略  (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高227ミリの巻子本。袋綴冊子本を巻子に改装。天保七年十月に名古屋の大野舞台で行われた勧進能の様子を描く肉筆の絵巻。画中に説明の文を記す。天保七年十二月春月亭梅薫題(序)。同人画。歌月庵(小田切春江)跋。末に実際の能組六日分(版本)を貼付する。
  • 弘化勧進能絵巻 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所蔵
    • 解題:  弘化5年(1842)宝生大夫友于が江戸神田筋違大橋(現在の万世橋付近)で興行した勧進能を描いた絵巻物。 著者は斉藤月岑と推定されているが、原本は現存しておらず、数種の模写本のみが現存。 本書は大久保葩雪(無心老樵葩雪。幕末から明治期に活動。)の書写。 三軸(能面図一軸を含む)。 軸の高さ270ミリ。
    1. 一  (1)
    2. 二  (1)
  • 仙台藩春藤流長命家文書 (25)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高161ミリの巻子本。仙台藩春藤流脇方の長命家に関する文書。寛政十二年長命惣太郎奥書の長命家系図の他、七月十七日付桜井八右衛門宛次太夫書状、寛文元年~正徳三年の知行目録など、長命家の家禄や相続に関する文書九点を継ぎ合わせ、一巻とする。
  • 貞享五年日吉頼母熱田勧進能番組 (7)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高164ミリの巻紙。日吉頼母が貞享五年九月に尾張熱田で催した七日間の勧進能番組。シテの日吉頼母は丹波猿楽日吉大夫の後裔で、貞享・元禄期に活躍した京都住の能大夫。京都において勧進能名代をつとめたほか、近江日吉社の神事能大夫としても活動した。流儀は観世流。もう一人のシテ、矢田甚兵衛は不明の人物だが、貞享三年に丹波亀岡の矢田神社神事能の大夫を勤めた「藤林甚兵衛」と同人か。藤林甚兵衛は後九州に下り、中津薦神社の神事能大夫になった人物で、流儀は同じく観世流であった。
  • 清寿院古春左衛門日数能番組 (5)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 八日間の日数能番組。整版刷。一枚に二日分の番組を記す。「初日・二日目分」は160×631ミリ。「三日目・四日目分」は160×634ミリ。「五日目・六日目分」は160×632ミリ。「七日目・八日目分」は157×633ミリ。いずれも巻紙。清寿院は名古屋市中区大須にあった修験道当山派の寺。江戸期、その境内では、勧進能をはじめ、芝居・見世物などの興行が盛んに行われており、その清寿院での能興行の番組であると思われる。シテは古春左衛門・古春増五郎・古春十郎兵衛・野口政之進と弟子(名前不記)。初日の翁・脇能を勤め、最も多くの番数を舞っている古春左衛門がこの催しの主催者か。古春は大坂住の宝生流の大夫。能名代として大坂の能界に重きをなした人物であるが、歴代の系図が伝わらないため、本番組の左衛門が何代目かは不明。
  • 古春左衛門日数能番組 二枚 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 前資料とは別刷の日数能番組。整版刷。六日目・七日目分。六日目分は158×303ミリ。七日目分は161×336ミリ。巻紙。各日能五番、狂言四番。曲目や曲ごとの配役は前資料の名古屋清寿院日数能と重複する点が多く、同じ催しの番組の可能性が高い。ただし、前資料の六日目の能の演目は〈白楽天・角田川・放下僧・安宅・舎利〉であるのに対し、本番組では三番目が〈梅枝〉、五番目が〈土蜘〉となっているなど、両者の間には異同も少なくない。前資料は興行開始前に販売された通し番組、本資料は当日販売用の番組か。
  • 古春左衛門日数能番組 三枚 (3)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 前二資料と同じく古春左衛門らがシテを勤める日数能の番組。筆写番組。一枚は四日目分の番組、他の二枚はともに五日目分の番組。四日目分は238×388ミリ。五日目分の二枚のうち一枚は239×337ミリ、もう一枚は244×340ミリ。巻紙。三枚とも同筆。曲目や配役は、清寿院古春左衛門日数能番組と重複するところが多く、同じ催しの番組と見られるが、異同も少なくない。本番組の四日目分には「午十一月十四日」と興行の日付が入っており、清寿院古春左衛門日数能番組の刷番組版行後に生じた演目や配役の変更を反映したのが本番組か。
  • 享保以降『大名衆相伝事扣帳』 (17)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 中型横本。享保二年から天保六年にかけて、小鼓方観世新九郎家が大名に相伝した習事の控帳。伊達紀伊守・有馬日向守・松平民部大輔・小笠原左京大夫・南部信濃守・稲葉丹後守など九十一名もの諸大名の名前と、それぞれに相伝した習事の目録を列記する。その中には、天明記の江戸幕府の政治を主導した田沼意次の嫡男田沼大和守意知や次男田沼直吉らの名も見え、観世新九郎が大名相手に幅広く小鼓の稽古を行っていた実態が窺われる。
  • 仮面譜 (19)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 袋綴半紙本(227×160ミリ)。九世喜多古能がまとめた面打の名譜。古代から江戸中期にいたる面打を、神作・十作・六作・中作・中作以後・井関家・大野出目家・出目家・児玉家・弟子出目・弟子打に分類し、その名前と経歴、没年、系譜等を記す。寛政九年六月の自序がある。序文によれば、門人の求めに応じて執筆したもので、児玉近江より伝来の書物に見える説と、諸家の伝承とを吟味し、一書にまとめたという。東京都立中央図書館加賀文庫をはじめ各所に版本が所蔵され、版本にもとづく写本の数も多く、面打の名譜として広く流布した。
  • 明治期能楽社関係書状合巻 (29)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高207ミリの巻子本。白色地紙に十五通の書状を貼り込み、一巻にしたもの。一部、能楽とは関係のない書状も混じるが、大半は能楽社の活動をめぐって、同社の世話係の間で交わされた書状。差出人と宛先は以下の通り。①三条実美書状〔池田茂政宛〕、②九条道孝書状〔池田茂政宛〕、③前田斎泰書状〔池田茂政宛〕、④蜂須賀茂韶書状〔池田茂政宛〕、⑤池田茂政書状〔直憲・利鬯宛〕、⑥黒田長知書状〔池田茂政宛〕、⑦南部利剛書状〔池田茂政宛〕、⑧津軽承昭書状〔池田茂政宛〕、⑨藤堂高潔書状〔池田茂政宛〕、⑩井伊直憲書状〔池田茂政宛〕、⑪松平忠恕書状〔池田茂政宛〕、⑫前田利鬯書状〔池田宛〕、⑬飯田巽書状〔池田宛〕、⑭宝生九郎書状〔池田茂政御内御家従宛〕、⑮金剛鈴之助書状。
  • 九条道孝書状〔池田茂政宛〕 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(177×576ミリ)。黄色料紙。十一月九日付。差出「道孝」。宛名「池田茂政殿」。能楽社の件につき、「行末之目途大ニ不安心、又江湖之検知スル方向も可有之」ため、「御同前ニ社則ヲ草稿スル義」はやめ、「断然名分ヲ相立、擔當之義ヲ退散之方ニ最初ヨリ申出候事ニ相考申候」と記す。能楽社の社則の作成をめぐって九条道孝が自らの考えを伝える書状らしい。能楽社は明治十四年四月に設立。その前年の書状か。本書状と以下十三通の書状は「明治能楽史料 書策十五通」と書かれた封筒に一括されている。
  • 森山茂書状〔黒田宛〕 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(159×692ミリ)。八月二十五日付。差出「茂(花押)」。宛名「黒田老巽 □状」。「五代友孝」の手代が拝謁を願い出ている件につき、明日もしくは明後日に伺う旨を伝える書状。能とは直接関係のない内容。五代友孝は明治期、大阪を拠点に商工業の発展に尽力した人物。差出人の森山茂は金春流の後援者として知られ、明治政府の外交官として活躍した。端裏に「明治十八年森山茂元老院大書記官」と朱書がある。
  • 藤堂高潔書状〔池田茂政宛〕 (3)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(167×591ミリ)。五月二十四日付。差出・宛名不記。封筒入。封筒上書「橋場町十六番地/池田茂政殿/親展 本所横網町/藤堂高潔」「十九年五月廿四日」。過日は世話人にのみ番組を送ったが、以後は世話掛にも送るべきこと、また山本復一などとも相談した結果、会員能の節には三流儀の能を必ず演じるよう取り決めることになった旨を伝える書状。書状の冒頭には、「久米邦武之下案」として、来る六月十三日に芝能楽堂で行われる能楽社主催能の案内文の草案を記す。その文中に「観世清孝擔當人ニテ相催候趣、清廉ヨリ申出候。番組も粗別紙之通り決定致候趣申出候」とあり、能楽社主催の会員能では、毎回担当人を定め、その担当人が番組などを取りまとめる慣わしであったらしい。案内文の追書には、その演能における宝生九郎の〈盛久〉と梅若実の〈藤戸〉が「近来之出来」との評を得たことが記されている。書状とは別に、六月十三日の能組を記した一紙(166×256ミリの巻紙)を同封。
  • 黒田長知書状〔池田茂政宛〕 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(175×282ミリ)。十二月五日付。差出「長知」。宛名「池田茂政殿」。封筒入。封筒上書「浅草区橋場町十六番地/池田茂政殿/親展」「赤坂福吉町一番地/黒田長知/十二月五日正午□」。委細不明ながら、「松井之義」「一増包太郎催能之義」「林へ被仰越候御草案」についての用件を伝える書状。一噌包太郎は明治二十六年正月に要三郎襲名の披露能を催しており、文中の「包太郎催能」はこの催しを指すか。
  • 池田茂政書状〔長知宛〕 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(182×575ミリ)。五月十四日付。差出「茂政」。宛名「長知君机下」。端裏書「五月十四日」。来る催能の番組についての書状。当日の予定番組が、加茂(穂波)・重盛(飯田)・三山(前田)・須磨源氏(松平忠恕)・天鼓(古市)であることを告げる。初番の加茂をつとめる穂波への伝言を依頼し、加茂が難しければ、小鍛冶・嵐山・春日龍神がよいであろうと助言する。追書には、他言は無用と断った上で、来月二日三日頃に「御覧」の儀がある由を記す。番組中の〈重盛〉は飯田巽の新作。明治二十六年六月七日に皇太后行啓のもと行われた芝能楽堂での華族能の折の書状であろう。倉田喜弘『明治の能楽(二)』によれば、当日は須磨源氏(松平忠恕)・満仲(穂波経度)・三山(前田利鬯)・隅田川(林直庸)・重盛(飯田巽)・天鼓(古市公威)の能が演じられた。
  • 杉孫七郎書状〔黒田宛〕 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(175×462ミリ)。五月十七日付。差出「杉孫七郎」。宛名「黒田殿」。「池田殿へは閣下ヨリ御通知相願候」と傍記。杉は宮内省の役人。「能楽御覧」の儀は本月三十一日か、来月一日、二日が然るべき旨を伝達する。明治二十六年六月二日に土方久元邸にて天覧能が催されており、同年の書状か。
  • 津軽承昭書状〔池田茂政宛〕 (4)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(173×903ミリ)。五月十二日付。差出「承昭」。宛名「茂政君」。封筒入。封筒上書「浅草橋場町十六番地/池田茂政殿/拝答」「本所太平丁/津軽承昭/五月十二日」。「能楽御覧之義」につき、番組の曲目を相談する書状。池田茂政が〈雲雀山〉の囃子を勤める予定であるのに対し、自身は〈松虫〉の囃子を勤める所存であることを伝える。
  • 飯田巽書状〔池田宛〕 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(183×191ミリ)。九月八日付。差出「巽」。宛名「池田様」。昨日、濱倶楽部にて前田氏・松平氏ら出席のもと集会が行われたが、相談の事案については結論が確定せず、九日に再び日本橋倶楽部で集会を行うので、病状がよければ出席くださるよう要請する書状。文中に「宝生會催し能併合之事」につき、松平氏が大河内へ出向いて説得の由が見える。差出人は飯田巽。受取人は池田茂政。本状を収める封筒に江島氏筆で「明廿七年九月/飯田巽より/池田茂政宛手紙」とある。
  • 松平忠恕書状〔池田・井伊ほか宛〕 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(182×125ミリ)。七月二日付。差出「松平忠恕」。宛名「池田・井伊・前田・黒田・桜井・飯田」。昨一日帰京の由を伝える。廻達後、返却下さるべき旨を文末に記す。本状を収める封筒に江島氏筆で「明治廿七年」とある。
  • 岡部長職書状〔大谷光瑩宛〕 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(186×699ミリ)。二月二十二日付。差出「岡部長職」。宛名「伯爵大谷光瑩殿」。封筒入(消印なし)。封筒上書「麹町区裏霞ケ関/伯爵大谷光瑩殿/侍史」「岡部長職」。明後日に大谷邸で催される謡会につき、繰り合わせ次第、参邸するつもりであるが、晩餐の先約があり、夕刻には失礼する旨を伝える。大谷は東本願寺二十二世。岡部は旧岸和田藩主の華族。
  • 細川護成書状〔大谷光瑩宛〕 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(187×607ミリ)。六月十八日付。差出「細川護成」。宛名「伯爵大谷光瑩殿」。封筒入(四十四年六月十八日付消印)。封筒上書「麹町区裏霞ヶ関二/伯爵大谷光瑩殿」「細川護成」。来る七月六日に星ヶ岡茶寮で催す素謡会の案内状。追書に、差し支えの節は一報下されたき旨を記す。
  • 清浦奎吾書状〔大谷光瑩宛〕 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(181×390ミリ)。三月初五付。差出「奎(花押)」。宛名「大谷伯爵殿」。封筒入(四十五年三月五日付消印)。封筒上書「麹町区裏霞ヶ関/伯爵大谷光瑩殿/侍曹」「大森八景坂上/清浦奎吾」。来る九日の素謡会の案内をもらったが、やむをえない用務のため、少し遅参する旨を伝える。
  • 毛利安子・大河内𫒒子書状 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 一枚物(282×400ミリ)。差出「毛利安子・大河内𫒒子」。宛名不記。「社団法人 宝生会」罫紙。明治二十六年に下賜された金子を宝生九郎と梅若六郎に渡し、利子をもって「楽師囃子方ノ補助養成」に供してはどうかとの伺状。追書に「御下賜金ハ明治二十六年十二月ヨリ大正五年三月マテノ利子金壱千百五拾円ヲ加ヘ金壱千六百五拾円ニ相成申候」とあり、大正五年の書状らしい。下賜金を管理運営していた団体名は記されていないが、古川久『明治能楽史序説』に見える能楽奨励婦人会か。同書によれば、土方亀子・大河内𫒒子らがその会員であり、倉田喜弘氏『明治の能楽(二)』明治二十七年二月十五日条にも、土方・大河内らが皇太后から金五百円を下賜されたことが見える。
  • 鍋島直映書状〔池田勝吉宛〕 (6)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 封筒に書状・番組各一通を収める。封筒上書「府下北品川七二七/男爵池田勝吉殿/親展」「東京市麹町区永田町一ノ十七/鍋島直映」。消印の日付は十年五月二十八日。書状は巻紙(182×914ミリ)。五月二十八日付。差出「鍋島直映」。宛名「男爵池田勝吉殿」。次回の十徳会の日程が来る六月二十三日に決定した旨を伝え、当日の当番を依頼する。番組は巻紙(182×350ミリ)。「六月廿三日/十徳会」に続き、感陽宮・女郎花・卒都婆小町・松虫・鵜飼の番組を記す。シテとワキ、ツレのみ。素謡の催しらしい。シテは象岳・輝耕・龍山・静岳・壽山の五名。
  • 能楽社会計収支金計算簿 (8)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 袋綴美濃本(266×195ミリ)。明治十四年に設立された能楽社の明治二十年から二十三年にかけての会計簿で、「収入金」と「支出金」に分けて金の出入りを記す。奥には「右之通相違無之候也/黒田長知(朱丸印)「長知」/明治廿三年三月」とあり、本文中の金額の箇所にも「長知」の朱印を押す。黒田長知がこの間の会計担当者。前任者は藤堂高潔らしく、「収入金」の冒頭には明治二十年九月に「金八拾壱圓三銭九厘」を藤堂高潔から譲り受けるとある。能楽社の運営実態を伝える貴重な資料。
  • 能楽堂記事 (61)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 袋綴半紙本(236×154ミリ)。明治二十七年六月から同年九月までの三ヶ月間の能楽堂の日誌。取締会議の議事や、能楽堂取締間で交わされた書状の写しなどを、記録として書き留めたもの。能楽堂の雑務を主に執り行ってきた林直庸の逝去(前年五月)を受けて、能楽堂の事務運営のあり方を根本的に見直し、その運営の議事録を記録として残したのが、本書らしい。本書の記事のうち、最も多くの丁数を費やしているのが、六月二十一日に芝能楽堂で行われたドイツ系アメリカ人のソプラノ歌手ミネ・ホーク(Minnie Hauk)の招請能に関する記事で、当日の番組、招請能開催をめぐって能楽堂取締が取り交わした書状の写し、演能にかかった経費の明細などを記す。
  • 昭和十二年大連能楽殿祝賀記念能番組 (19)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 仮綴袖珍本(131×94ミリ)。銀鱗形石畳印刷表紙。活版刷。同じものが二冊ある(布の綴紐は色違い)。外題「観能のしをり」。本文二十二頁。広告八頁。裏表紙に「わんや書店寄贈」とある。昭和十二年八月十四日・十五日、大連市光明台大連能楽殿における森川荘吉皆伝披露・還暦自祝記念能の番組と演者紹介・曲目解説。森川荘吉は大連能楽界の中心的人物。その還暦を祝っての催しで、わんや書店が番組の制作を請け負い、寄贈したもの。表紙の鱗型文様は、この時、森川が〈道成寺〉を舞ったことに因る。
  • 昭和十六年哈爾濱宝生流能楽鑑賞会番組 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(148×251ミリ)。活版刷。昭和十六年八月六日、哈爾濱高等女学校講堂仮舞台での宝生流能楽鑑賞会の番組。末に「主催 哈爾濱宝生会/哈爾濱鉄道局厚生会」とある。
  • 新曲忠霊発表能組 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(141×272ミリ)。活版刷。昭和十六年に新作された戦時下の時局能〈忠霊〉初演の番組。冒頭に「新曲能「忠霊」発表能組」、末に「主催 大日本忠霊顕彰会」とある。同年十一月十一日、華族会館恩賜能舞台での演能。同日は、午後二時、四時半、七時半と三回にわたって〈忠霊〉が演じられ、それぞれ橋岡久太郎、梅若万三郎、観世銕之丞がシテを勤めた。同能会の案内状(二枚。一枚は「大日本忠霊顕彰会会長菱刈隆」名義の昭和十六年十一月三日付状。もう一枚は「観世会」名義の十一月四日付状)、〈忠霊〉本文・梗概各一枚(いずれも活版刷)、山口蓼洲画伯作「能楽『忠霊』之図」頒布会の案内状(昭和十七年七月付。大阪高島屋美術工芸品部)を添付。
  • 昭和十七年帝劇能番組 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: B5版二折(182×129ミリ)。活版刷。表に「梅若宗家御寄贈/帝劇再開場記念」「翁/高砂」「昭和十七年三月二十三日午後六時始/丸の内 帝国劇場」とある。国家徴用に供された帝国劇場が御用済みとなり、再開場するにあたって記念として催された能の番組。翁(梅若六郎)、舞囃子高砂(梅若景英)の二番のみ。東京宝塚劇場社長秦豊吉名義の案内状(二折葉書。活版刷)、昭和十七年三月十九日付東宝事業課の特報ビラ(謄写版)を同封。特報ビラでは、有楽座の舞台開きに喜多六平太が「石橋」を舞った先例(「大正の初期」のこととするが明治四十一年の誤り)はあるものの、劇場での演能を拒んできた能楽界が、今回帝国劇場の再開場記念として演能に踏み切ったことを報じる。封筒入。封筒上書に江島氏の筆で「昭和十七年三月/梅若帝劇出演一件」とあり。
  • 上海宝生会秋大会謡曲番組 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(198×382ミリ)。活版刷。昭和十九年十一月九日、上海神社長生殿での上海宝生会主催による宝生会秋の大会の番組。冒頭に「宝生会秋の大会」と大書。戦局の動向を記すのに続いて、長生殿竣工三周年にあたって、「記念謡曲練成大会」を開催する旨の口上を記す。素謡七番と狂言一番。シテは宮良孫康・田村小一郎・重松為治ほか。狂言の演者は上野正文ほか。キリに祝言「海ゆかば」。会費不要、各自日の丸弁当持参とある。中華民国上海における謡会の数少ない資料として貴重。
 

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