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5.史料

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  • 宮増弥左衛門親賢画像  (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 軸装。画本体は595×255。宮増親賢が小鼓を打つ姿を描いたもので、現存する能役者の画像としては最古のもの。絵師窪田統泰画。英甫永雄(雄長老)の画像賛を付す。
  • 正月三日付、橋本与三右衛門あて宮増親賢書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 244×460。小鼓方宮増親賢が弟子の橋本与三右衛門に宛てた返報。文中に名前が見える「小次」「彦六」はそれぞれ観世小次郎元頼、美濃彦六のことであろう。年不明。
  • 六月三日付、宮増弥左衛門親賢書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 128×410。宛書を抹消した痕跡があり、宛所不明。追書に「越前のミちあキ候て」とあるのは、弘治二年(一五五六)四月の越前守護朝倉義景と一向一揆との講和を指すらしく、同年の書状か。
  • 観世彦右衛門あて里村紹巴書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 253×402。連歌師の紹巴が小鼓方観世彦右衛門宗拶に宛てた書状。紹巴が嶋田殿にて彦右衛門の子息の鼓を聞き、感涙した由を記す。彦右衛門の子の又次郎(永禄十一年生)が若年の頃の書状らしい。
  • 永禄十一年十月廿日付、彦右衛門あて下知状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 300×470の奉書。西岡最福寺のうち百石の領地を安堵する下知状。西岡は山城国乙訓郡の地名。差出人は将軍足利義昭の沙汰人であろう。
  • 永禄十一年十月廿四日付、観世小次郎あて信長朱印状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 275×445の奉書。勧修寺郷の領地を安堵する信長の朱印状。観世小次郎は観世座脇方の観世元頼。
  • 永禄十一年十一月十六日付、観世小次郎あて下知状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 293×453の奉書。山城国の所々の領地を安堵する下知状。差出人は将軍足利義昭の沙汰人であろう。
  • 十一月廿八日付、観世彦右衛門あて信長朱印状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 142×460の奉書。最福寺の七十二石余の領地を安堵する信長の朱印状。
  • 五月十三日付、観世小次郎元頼書状案文  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 267×395。観世小次郎元頼が津田金左衛門尉・坊喜三郎に宛てた書状の案文。勧修寺郷の領地をめぐる紛争に関する書状らしい。
  • 七月十三日付、観世小次郎あて木下藤吉郎秀吉書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 295×440の懐紙。勧修寺郷の領地に関する小次郎の書状に対する秀吉の返報。元亀二年の書状か。
  • 元亀三年正月廿八日付、観世小次郎あて信長朱印状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 147×458の奉書。勧修寺郷の領地をめぐる紛争に関し、裁決を下す信長の朱印状。文中の三渕は足利義昭に仕える幕府御用部屋衆。
  • 元亀四年六月廿八日付、観世彦右衛門あて荒木村重書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 131×420の懐紙。鳥養郷の領地を合力として与える、荒木村重の書状。
  • 九月廿五日付、中川清秀書状写し  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 150×443の懐紙。荒木村重が観世彦右衛門に与えた領地に関する中川清秀の書状。百姓中に彦右衛門の知行たることを申しつけるよう命じている。「北但」宛。
  • 九月廿六日付、辻玄照あて高助左書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 125×390の懐紙。観世彦右衛門の領地に関して、辻玄照に引き渡しを要請する高助左の書状。
  • 極月廿三日付、石伊あて荒木摂津守村重書状  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 125×405の懐紙。鳥養郷の観世彦右衛門の領地につき、無役たることを申しつける荒木村重の書状。「石伊」は村重配下の人物であろう。
  • 天正拾年三月九日付、観世彦右衛門あて羽柴秀吉折紙  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 160×500。播磨国のうち百石の領地を合力として与える、羽柴秀吉の書状。
  • 天正十一年九月十日付、観世宗拶あて織田信雄折紙  (1)  [翻字]
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 178×506。北伊勢三重郡智積の知行地を与える織田信雄の書状。
  • 能之留帳 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所蔵
    • 解題: 袋綴横本。本願寺坊官の下間少進が演能した場所・曲目・演者名などを克明に記録したもので、天正十六年から慶長七年の間の演能記録を収める。安土桃山期の能楽史料として貴重。
    1. 一冊  (68)
    2. 二冊  (116)
  • 四座役者目録 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題:  能役者の伝記集。 江戸時代の能役者の事績を集成した一級資料。 観世流小鼓の新九郎家五代目、観世勝右衛門元信が、家に伝わる書物や自身の見聞等に基づいて編纂した。 元信による、正保三年(1646)と承応二年(1653)の二つの奥書があり、この間に多くの増補・訂正を施した跡がある。 上下二冊。 282×213ミリ。 原装は仮綴。
    1. 上  (46)
    2. 下  (82)
  • 四座之役者  (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 世阿弥の時代から戦国期にかけて大和猿楽四座で活動した能役者の名譜。編者は戦国期の観世座の太鼓役者・観世与左衛門国広。本資料はその国広の自筆本。一部に国広自身による後年の書き入れが見られる。
  • 寛永十八年林道春奥書観世小次郎信光画像讃  (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 紙高245ミリの巻子本。「道春之手跡」と墨書がある箱入り。宜竹の観世小次郎信光画像賛全文を、返点・送り仮名・朱引を施して書写したもの。林道春自筆の奥書によれば、観世重成の求めに応じて書写したという。
  • 貞享三年拝領町屋敷図面  (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 48×74。芝新銭座町の拝領地の図面で、屋敷の間取り図と他人に貸した分の総図。屋敷に能舞台があったことも確認出来る。貸店の店賃を記すなど、詳細な内容。
  • 膳所城能舞台寸法書 (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高297ミリの巻子本。元禄十四年に新造された近江膳所城二之丸の能舞台に関する記録や図面を巻子に仕立てたもので、普請の経緯が詳細に記される。舞台は十一月に完成、十二月十六日に舞台開きが行われた。
    1. 全体  (1)
    2. 貼り紙箇所  (4)
  • 能御絵鑑 (2)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 能楽研究所蔵
    • 解題:  大型折帖。 表裏の両面に縦30×横36センチの能絵図を貼り付け、二帖合わせて150図を収める。 近衛家伝来。木箱の金泥書によれば、江戸中期の幕府御用絵師、狩野春湖の筆。収録図の曲目は喜多流のレパートリーと一致する。 その収録曲目や伝来などから、喜多流の能を学んだ六代将軍徳川家宣の周辺で制作され、家宣の妻の実家である近衛家に贈られたものと推察される。 面・装束・作り物の描写は精緻を極め、江戸中期の能の演出を研究する上でも貴重。
    1. 一  (84)
    2. 二  (84)
  • 江戸城本丸舞台之図  (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高271ミリの巻子本。奥書等なし。内題に「御本丸御能舞台」とあり、江戸城本丸舞台の平面図・正面図である。寸法入り。
  • 江戸城西丸能舞台寸法書  (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高263ミリの巻子本。能舞台の正面・平面図。「舞台覚」(各部寸法)、「七月三十一日宝生先生之送付西丸御舞台御有形瓶絵図」、「七月二十二日宝生先生ヨリ送付柱扣環寸法」などを記す。「舞台覚」には「亥八月二十四日」とある。
  • 観世・宝生・和泉殿能舞台寸法書  (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高276ミリの巻子本。真舞台、同真舞台、観世舞台、宝生行舞台、宝生草舞台、和泉殿舞台の各正面及び平面寸法図。末に六ケ条からなる舞台の故実を記す。
  • 寛延・文化・天保勧進能図巻  (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高265ミリの巻子本。寛延三年庚午三月筋違橋観世太夫興行場所絵図、同十四・十五日目番組。文化十三年閏八月幸橋観世太夫興行場所絵図。天保二年十月幸橋門外観世太夫興行場所図、同二十五日分全番組、出役衆廻文写、出役衆覚書写、勧進能出役之覚を合わせ、一巻に仕立てたもの。
  • 猿楽図略  (1)
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    • 分類: 史料 
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高227ミリの巻子本。袋綴冊子本を巻子に改装。天保七年十月に名古屋の大野舞台で行われた勧進能の様子を描く肉筆の絵巻。画中に説明の文を記す。天保七年十二月春月亭梅薫題(序)。同人画。歌月庵(小田切春江)跋。末に実際の能組六日分(版本)を貼付する。
  • 弘化勧進能絵巻 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所蔵
    • 解題:  弘化5年(1842)宝生大夫友于が江戸神田筋違大橋(現在の万世橋付近)で興行した勧進能を描いた絵巻物。 著者は斉藤月岑と推定されているが、原本は現存しておらず、数種の模写本のみが現存。 本書は大久保葩雪(無心老樵葩雪。幕末から明治期に活動。)の書写。 三軸(能面図一軸を含む)。 軸の高さ270ミリ。
    1. 一  (1)
    2. 二  (1)
  • 仙台藩春藤流長命家文書 (25)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高161ミリの巻子本。仙台藩春藤流脇方の長命家に関する文書。寛政十二年長命惣太郎奥書の長命家系図の他、七月十七日付桜井八右衛門宛次太夫書状、寛文元年~正徳三年の知行目録など、長命家の家禄や相続に関する文書九点を継ぎ合わせ、一巻とする。
  • 貞享五年日吉頼母熱田勧進能番組 (7)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高164ミリの巻紙。日吉頼母が貞享五年九月に尾張熱田で催した七日間の勧進能番組。シテの日吉頼母は丹波猿楽日吉大夫の後裔で、貞享・元禄期に活躍した京都住の能大夫。京都において勧進能名代をつとめたほか、近江日吉社の神事能大夫としても活動した。流儀は観世流。もう一人のシテ、矢田甚兵衛は不明の人物だが、貞享三年に丹波亀岡の矢田神社神事能の大夫を勤めた「藤林甚兵衛」と同人か。藤林甚兵衛は後九州に下り、中津薦神社の神事能大夫になった人物で、流儀は同じく観世流であった。
  • 清寿院古春左衛門日数能番組 (5)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 八日間の日数能番組。整版刷。一枚に二日分の番組を記す。「初日・二日目分」は160×631ミリ。「三日目・四日目分」は160×634ミリ。「五日目・六日目分」は160×632ミリ。「七日目・八日目分」は157×633ミリ。いずれも巻紙。清寿院は名古屋市中区大須にあった修験道当山派の寺。江戸期、その境内では、勧進能をはじめ、芝居・見世物などの興行が盛んに行われており、その清寿院での能興行の番組であると思われる。シテは古春左衛門・古春増五郎・古春十郎兵衛・野口政之進と弟子(名前不記)。初日の翁・脇能を勤め、最も多くの番数を舞っている古春左衛門がこの催しの主催者か。古春は大坂住の宝生流の大夫。能名代として大坂の能界に重きをなした人物であるが、歴代の系図が伝わらないため、本番組の左衛門が何代目かは不明。
  • 古春左衛門日数能番組 二枚 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 前資料とは別刷の日数能番組。整版刷。六日目・七日目分。六日目分は158×303ミリ。七日目分は161×336ミリ。巻紙。各日能五番、狂言四番。曲目や曲ごとの配役は前資料の名古屋清寿院日数能と重複する点が多く、同じ催しの番組の可能性が高い。ただし、前資料の六日目の能の演目は〈白楽天・角田川・放下僧・安宅・舎利〉であるのに対し、本番組では三番目が〈梅枝〉、五番目が〈土蜘〉となっているなど、両者の間には異同も少なくない。前資料は興行開始前に販売された通し番組、本資料は当日販売用の番組か。
  • 古春左衛門日数能番組 三枚 (3)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 前二資料と同じく古春左衛門らがシテを勤める日数能の番組。筆写番組。一枚は四日目分の番組、他の二枚はともに五日目分の番組。四日目分は238×388ミリ。五日目分の二枚のうち一枚は239×337ミリ、もう一枚は244×340ミリ。巻紙。三枚とも同筆。曲目や配役は、清寿院古春左衛門日数能番組と重複するところが多く、同じ催しの番組と見られるが、異同も少なくない。本番組の四日目分には「午十一月十四日」と興行の日付が入っており、清寿院古春左衛門日数能番組の刷番組版行後に生じた演目や配役の変更を反映したのが本番組か。
  • 享保以降『大名衆相伝事扣帳』 (17)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 能楽研究所観世新九郎家文庫蔵
    • 解題: 中型横本。享保二年から天保六年にかけて、小鼓方観世新九郎家が大名に相伝した習事の控帳。伊達紀伊守・有馬日向守・松平民部大輔・小笠原左京大夫・南部信濃守・稲葉丹後守など九十一名もの諸大名の名前と、それぞれに相伝した習事の目録を列記する。その中には、天明記の江戸幕府の政治を主導した田沼意次の嫡男田沼大和守意知や次男田沼直吉らの名も見え、観世新九郎が大名相手に幅広く小鼓の稽古を行っていた実態が窺われる。
  • 仮面譜 (19)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 袋綴半紙本(227×160ミリ)。九世喜多古能がまとめた面打の名譜。古代から江戸中期にいたる面打を、神作・十作・六作・中作・中作以後・井関家・大野出目家・出目家・児玉家・弟子出目・弟子打に分類し、その名前と経歴、没年、系譜等を記す。寛政九年六月の自序がある。序文によれば、門人の求めに応じて執筆したもので、児玉近江より伝来の書物に見える説と、諸家の伝承とを吟味し、一書にまとめたという。東京都立中央図書館加賀文庫をはじめ各所に版本が所蔵され、版本にもとづく写本の数も多く、面打の名譜として広く流布した。
  • 明治期能楽社関係書状合巻 (29)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 紙高207ミリの巻子本。白色地紙に十五通の書状を貼り込み、一巻にしたもの。一部、能楽とは関係のない書状も混じるが、大半は能楽社の活動をめぐって、同社の世話係の間で交わされた書状。差出人と宛先は以下の通り。①三条実美書状〔池田茂政宛〕、②九条道孝書状〔池田茂政宛〕、③前田斎泰書状〔池田茂政宛〕、④蜂須賀茂韶書状〔池田茂政宛〕、⑤池田茂政書状〔直憲・利鬯宛〕、⑥黒田長知書状〔池田茂政宛〕、⑦南部利剛書状〔池田茂政宛〕、⑧津軽承昭書状〔池田茂政宛〕、⑨藤堂高潔書状〔池田茂政宛〕、⑩井伊直憲書状〔池田茂政宛〕、⑪松平忠恕書状〔池田茂政宛〕、⑫前田利鬯書状〔池田宛〕、⑬飯田巽書状〔池田宛〕、⑭宝生九郎書状〔池田茂政御内御家従宛〕、⑮金剛鈴之助書状。
  • 九条道孝書状〔池田茂政宛〕 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(177×576ミリ)。黄色料紙。十一月九日付。差出「道孝」。宛名「池田茂政殿」。能楽社の件につき、「行末之目途大ニ不安心、又江湖之検知スル方向も可有之」ため、「御同前ニ社則ヲ草稿スル義」はやめ、「断然名分ヲ相立、擔當之義ヲ退散之方ニ最初ヨリ申出候事ニ相考申候」と記す。能楽社の社則の作成をめぐって九条道孝が自らの考えを伝える書状らしい。能楽社は明治十四年四月に設立。その前年の書状か。本書状と以下十三通の書状は「明治能楽史料 書策十五通」と書かれた封筒に一括されている。
  • 森山茂書状〔黒田宛〕 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(159×692ミリ)。八月二十五日付。差出「茂(花押)」。宛名「黒田老巽 □状」。「五代友孝」の手代が拝謁を願い出ている件につき、明日もしくは明後日に伺う旨を伝える書状。能とは直接関係のない内容。五代友孝は明治期、大阪を拠点に商工業の発展に尽力した人物。差出人の森山茂は金春流の後援者として知られ、明治政府の外交官として活躍した。端裏に「明治十八年森山茂元老院大書記官」と朱書がある。
  • 藤堂高潔書状〔池田茂政宛〕 (3)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(167×591ミリ)。五月二十四日付。差出・宛名不記。封筒入。封筒上書「橋場町十六番地/池田茂政殿/親展 本所横網町/藤堂高潔」「十九年五月廿四日」。過日は世話人にのみ番組を送ったが、以後は世話掛にも送るべきこと、また山本復一などとも相談した結果、会員能の節には三流儀の能を必ず演じるよう取り決めることになった旨を伝える書状。書状の冒頭には、「久米邦武之下案」として、来る六月十三日に芝能楽堂で行われる能楽社主催能の案内文の草案を記す。その文中に「観世清孝擔當人ニテ相催候趣、清廉ヨリ申出候。番組も粗別紙之通り決定致候趣申出候」とあり、能楽社主催の会員能では、毎回担当人を定め、その担当人が番組などを取りまとめる慣わしであったらしい。案内文の追書には、その演能における宝生九郎の〈盛久〉と梅若実の〈藤戸〉が「近来之出来」との評を得たことが記されている。書状とは別に、六月十三日の能組を記した一紙(166×256ミリの巻紙)を同封。
  • 黒田長知書状〔池田茂政宛〕 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(175×282ミリ)。十二月五日付。差出「長知」。宛名「池田茂政殿」。封筒入。封筒上書「浅草区橋場町十六番地/池田茂政殿/親展」「赤坂福吉町一番地/黒田長知/十二月五日正午□」。委細不明ながら、「松井之義」「一増包太郎催能之義」「林へ被仰越候御草案」についての用件を伝える書状。一噌包太郎は明治二十六年正月に要三郎襲名の披露能を催しており、文中の「包太郎催能」はこの催しを指すか。
  • 池田茂政書状〔長知宛〕 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(182×575ミリ)。五月十四日付。差出「茂政」。宛名「長知君机下」。端裏書「五月十四日」。来る催能の番組についての書状。当日の予定番組が、加茂(穂波)・重盛(飯田)・三山(前田)・須磨源氏(松平忠恕)・天鼓(古市)であることを告げる。初番の加茂をつとめる穂波への伝言を依頼し、加茂が難しければ、小鍛冶・嵐山・春日龍神がよいであろうと助言する。追書には、他言は無用と断った上で、来月二日三日頃に「御覧」の儀がある由を記す。番組中の〈重盛〉は飯田巽の新作。明治二十六年六月七日に皇太后行啓のもと行われた芝能楽堂での華族能の折の書状であろう。倉田喜弘『明治の能楽(二)』によれば、当日は須磨源氏(松平忠恕)・満仲(穂波経度)・三山(前田利鬯)・隅田川(林直庸)・重盛(飯田巽)・天鼓(古市公威)の能が演じられた。
  • 杉孫七郎書状〔黒田宛〕 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(175×462ミリ)。五月十七日付。差出「杉孫七郎」。宛名「黒田殿」。「池田殿へは閣下ヨリ御通知相願候」と傍記。杉は宮内省の役人。「能楽御覧」の儀は本月三十一日か、来月一日、二日が然るべき旨を伝達する。明治二十六年六月二日に土方久元邸にて天覧能が催されており、同年の書状か。
  • 津軽承昭書状〔池田茂政宛〕 (4)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(173×903ミリ)。五月十二日付。差出「承昭」。宛名「茂政君」。封筒入。封筒上書「浅草橋場町十六番地/池田茂政殿/拝答」「本所太平丁/津軽承昭/五月十二日」。「能楽御覧之義」につき、番組の曲目を相談する書状。池田茂政が〈雲雀山〉の囃子を勤める予定であるのに対し、自身は〈松虫〉の囃子を勤める所存であることを伝える。
  • 飯田巽書状〔池田宛〕 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(183×191ミリ)。九月八日付。差出「巽」。宛名「池田様」。昨日、濱倶楽部にて前田氏・松平氏ら出席のもと集会が行われたが、相談の事案については結論が確定せず、九日に再び日本橋倶楽部で集会を行うので、病状がよければ出席くださるよう要請する書状。文中に「宝生會催し能併合之事」につき、松平氏が大河内へ出向いて説得の由が見える。差出人は飯田巽。受取人は池田茂政。本状を収める封筒に江島氏筆で「明廿七年九月/飯田巽より/池田茂政宛手紙」とある。
  • 松平忠恕書状〔池田・井伊ほか宛〕 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(182×125ミリ)。七月二日付。差出「松平忠恕」。宛名「池田・井伊・前田・黒田・桜井・飯田」。昨一日帰京の由を伝える。廻達後、返却下さるべき旨を文末に記す。本状を収める封筒に江島氏筆で「明治廿七年」とある。
  • 岡部長職書状〔大谷光瑩宛〕 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(186×699ミリ)。二月二十二日付。差出「岡部長職」。宛名「伯爵大谷光瑩殿」。封筒入(消印なし)。封筒上書「麹町区裏霞ケ関/伯爵大谷光瑩殿/侍史」「岡部長職」。明後日に大谷邸で催される謡会につき、繰り合わせ次第、参邸するつもりであるが、晩餐の先約があり、夕刻には失礼する旨を伝える。大谷は東本願寺二十二世。岡部は旧岸和田藩主の華族。
  • 細川護成書状〔大谷光瑩宛〕 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(187×607ミリ)。六月十八日付。差出「細川護成」。宛名「伯爵大谷光瑩殿」。封筒入(四十四年六月十八日付消印)。封筒上書「麹町区裏霞ヶ関二/伯爵大谷光瑩殿」「細川護成」。来る七月六日に星ヶ岡茶寮で催す素謡会の案内状。追書に、差し支えの節は一報下されたき旨を記す。
  • 清浦奎吾書状〔大谷光瑩宛〕 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(181×390ミリ)。三月初五付。差出「奎(花押)」。宛名「大谷伯爵殿」。封筒入(四十五年三月五日付消印)。封筒上書「麹町区裏霞ヶ関/伯爵大谷光瑩殿/侍曹」「大森八景坂上/清浦奎吾」。来る九日の素謡会の案内をもらったが、やむをえない用務のため、少し遅参する旨を伝える。
  • 毛利安子・大河内𫒒子書状 (2)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 一枚物(282×400ミリ)。差出「毛利安子・大河内𫒒子」。宛名不記。「社団法人 宝生会」罫紙。明治二十六年に下賜された金子を宝生九郎と梅若六郎に渡し、利子をもって「楽師囃子方ノ補助養成」に供してはどうかとの伺状。追書に「御下賜金ハ明治二十六年十二月ヨリ大正五年三月マテノ利子金壱千百五拾円ヲ加ヘ金壱千六百五拾円ニ相成申候」とあり、大正五年の書状らしい。下賜金を管理運営していた団体名は記されていないが、古川久『明治能楽史序説』に見える能楽奨励婦人会か。同書によれば、土方亀子・大河内𫒒子らがその会員であり、倉田喜弘氏『明治の能楽(二)』明治二十七年二月十五日条にも、土方・大河内らが皇太后から金五百円を下賜されたことが見える。
  • 鍋島直映書状〔池田勝吉宛〕 (6)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 封筒に書状・番組各一通を収める。封筒上書「府下北品川七二七/男爵池田勝吉殿/親展」「東京市麹町区永田町一ノ十七/鍋島直映」。消印の日付は十年五月二十八日。書状は巻紙(182×914ミリ)。五月二十八日付。差出「鍋島直映」。宛名「男爵池田勝吉殿」。次回の十徳会の日程が来る六月二十三日に決定した旨を伝え、当日の当番を依頼する。番組は巻紙(182×350ミリ)。「六月廿三日/十徳会」に続き、感陽宮・女郎花・卒都婆小町・松虫・鵜飼の番組を記す。シテとワキ、ツレのみ。素謡の催しらしい。シテは象岳・輝耕・龍山・静岳・壽山の五名。
  • 能楽社会計収支金計算簿 (8)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 袋綴美濃本(266×195ミリ)。明治十四年に設立された能楽社の明治二十年から二十三年にかけての会計簿で、「収入金」と「支出金」に分けて金の出入りを記す。奥には「右之通相違無之候也/黒田長知(朱丸印)「長知」/明治廿三年三月」とあり、本文中の金額の箇所にも「長知」の朱印を押す。黒田長知がこの間の会計担当者。前任者は藤堂高潔らしく、「収入金」の冒頭には明治二十年九月に「金八拾壱圓三銭九厘」を藤堂高潔から譲り受けるとある。能楽社の運営実態を伝える貴重な資料。
  • 能楽堂記事 (61)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 袋綴半紙本(236×154ミリ)。明治二十七年六月から同年九月までの三ヶ月間の能楽堂の日誌。取締会議の議事や、能楽堂取締間で交わされた書状の写しなどを、記録として書き留めたもの。能楽堂の雑務を主に執り行ってきた林直庸の逝去(前年五月)を受けて、能楽堂の事務運営のあり方を根本的に見直し、その運営の議事録を記録として残したのが、本書らしい。本書の記事のうち、最も多くの丁数を費やしているのが、六月二十一日に芝能楽堂で行われたドイツ系アメリカ人のソプラノ歌手ミネ・ホーク(Minnie Hauk)の招請能に関する記事で、当日の番組、招請能開催をめぐって能楽堂取締が取り交わした書状の写し、演能にかかった経費の明細などを記す。
  • 昭和十二年大連能楽殿祝賀記念能番組 (19)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 仮綴袖珍本(131×94ミリ)。銀鱗形石畳印刷表紙。活版刷。同じものが二冊ある(布の綴紐は色違い)。外題「観能のしをり」。本文二十二頁。広告八頁。裏表紙に「わんや書店寄贈」とある。昭和十二年八月十四日・十五日、大連市光明台大連能楽殿における森川荘吉皆伝披露・還暦自祝記念能の番組と演者紹介・曲目解説。森川荘吉は大連能楽界の中心的人物。その還暦を祝っての催しで、わんや書店が番組の制作を請け負い、寄贈したもの。表紙の鱗型文様は、この時、森川が〈道成寺〉を舞ったことに因る。
  • 昭和十六年哈爾濱宝生流能楽鑑賞会番組 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(148×251ミリ)。活版刷。昭和十六年八月六日、哈爾濱高等女学校講堂仮舞台での宝生流能楽鑑賞会の番組。末に「主催 哈爾濱宝生会/哈爾濱鉄道局厚生会」とある。
  • 新曲忠霊発表能組 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(141×272ミリ)。活版刷。昭和十六年に新作された戦時下の時局能〈忠霊〉初演の番組。冒頭に「新曲能「忠霊」発表能組」、末に「主催 大日本忠霊顕彰会」とある。同年十一月十一日、家族会館恩賜能舞台での演能。同日は、午後二時、四時半、七時半と三回にわたって〈忠霊〉が演じられ、それぞれ橋岡久太郎、梅若万三郎、観世銕之丞がシテを勤めた。同能会の案内状(二枚。一枚は「大日本忠霊顕彰会会長菱刈隆」名義の昭和十六年十一月三日付状。もう一枚は「観世会」名義の十一月四日付状)、〈忠霊〉本文・梗概各一枚(いずれも活版刷)、山口蓼洲画伯作「能楽『忠霊』之図」頒布会の案内状(昭和十七年七月付。大阪高島屋美術工芸品部)を添付。
  • 昭和十七年帝劇能番組 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: B5版二折(182×129ミリ)。活版刷。表に「梅若宗家御寄贈/帝劇再開場記念」「翁/高砂」「昭和十七年三月二十三日午後六時始/丸の内 帝国劇場」とある。国家徴用に供された帝国劇場が御用済みとなり、再開場するにあたって記念として催された能の番組。翁(梅若六郎)、舞囃子高砂(梅若景英)の二番のみ。東京宝塚劇場社長秦豊吉名義の案内状(二折葉書。活版刷)、昭和十七年三月十九日付東宝事業課の特報ビラ(謄写版)を同封。特報ビラでは、有楽座の舞台開きに喜多六平太が「石橋」を舞った先例(「大正の初期」のこととするが明治四十一年の誤り)はあるものの、劇場での演能を拒んできた能楽界が、今回帝国劇場の再開場記念として演能に踏み切ったことを報じる。封筒入。封筒上書に江島氏の筆で「昭和十七年三月/梅若帝劇出演一件」とあり。
  • 上海宝生会秋大会謡曲番組 (1)
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    • 分類: 史料
    • 所蔵: 法政大学鴻山文庫蔵
    • 解題: 巻紙(198×382ミリ)。活版刷。昭和十九年十一月九日、上海神社長生殿での上海宝生会主催による宝生会秋の大会の番組。冒頭に「宝生会秋の大会」と大書。戦局の動向を記すのに続いて、長生殿竣工三周年にあたって、「記念謡曲練成大会」を開催する旨の口上を記す。素謡七番と狂言一番。シテは宮良孫康・田村小一郎・重松為治ほか。狂言の演者は上野正文ほか。キリに祝言「海ゆかば」。会費不要、各自日の丸弁当持参とある。中華民国上海における謡会の数少ない資料として貴重。
 

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