野上記念法政大学能楽研究所 伊達家旧蔵能楽資料デジタルアーカイブ

黒漆つづら

伊達家旧蔵本について

竹本 幹夫

【伊達家歴代と能】

東北の雄藩仙台藩の藩主である伊達家歴代は、藩祖政宗(1567-1636)以来、能数寄として知られる。伊達家は鎌倉時代初期より続く名家で、全時代を通じて東北地方に覇を唱えた大名であったので、恐らくは室町時代中期より能に親しんだことであろうが、その詳細は明らかではない。藩祖政宗にしても、その能楽愛好を裏付ける本人手沢の能楽資料はほぼ散佚したようで、ほとんど管見に入らないが、細川家文書等の同時代史料には政宗の能数寄ぶりを伝える噂話が見え、宮城県図書館伊達文庫蔵の『古之御能組』には、政宗主催分も含む膨大な演能記録が記載される。ただし伊達家関係の能楽関係文書で第4代綱村(1659-1719)以前のものは、実はほとんど存在が知られていない。伊達家旧蔵とされる安土桃山時代の書写にかかる謡本などが複数存在するものの、政宗や歴代藩主が直接相伝したとは思えぬものが多く、いかなる経緯で伊達家に所蔵されることになったのか不明なものが少なくない。

現存する伊達家旧蔵の能楽関係文書には、第5代藩主吉村(1680-1751)時代のものが圧倒的に多い。

伊達吉村時代の資料が膨大に存在するのは、吉村の生きた貞享・元禄・宝永・正徳(1684~1716)という時代が、徳川五代将軍綱吉・六代将軍家綱という、空前の能狂将軍の下にあって、全国の諸大名が、外様はもとより親藩・譜代の歴々に至るまで、能を媒介とした交際に明け暮れたという、特殊な状況であったためである。現存する同時代の諸藩の藩政日記や藩主の旧蔵書中に、多くの学芸記事や学芸資料に交じって、能の記事や能楽資料が集中的に現れるのだが、それらはいずれもとくに、学問好きでもあった江戸時代随一の能狂・五代将軍綱吉に諸侯が迎合した結果なのである。仙台藩ほどの大藩になれば、当然、質量共に他家を凌駕する能楽資料が山積したのであり、しかも吉村が能楽の習得に極めて熱心であったことにより、大名個人の手沢本としては他に例を見ないようなコレクションが現出したのである。

仙台藩の能楽資料群には、他家のそれとは際だった相違があり、それが伊達家関連の能楽資料の特色をなしている。仙台藩は藩祖である政宗時代から金春流・金剛流を初めとする四座の大夫を贔屓にしていたらしいが、とくに豊臣秀吉・徳川家康の愛顧を独占した観のあった金春大夫安照(1549-1621)と、その三男の大蔵大夫氏紀(1590-1665)に、直臣桜井八右衛門安澄(系譜類は安證だが自署は安澄か)を弟子入りさせて自家の能大夫に育成させた。すでに寛永年間に、大蔵大夫氏紀は伊達藩能大夫の師家たるの地位を獲得していたらしい。このほか江戸前期には、喜多流小野清大夫が伊達家能大夫となった。そもそもは二代将軍徳川秀忠の北七大夫贔屓に迎合して北大夫に合力していたのが、喜多流能大夫の扶持につながったものであろう。しかしながら歴代藩主がもっぱら金春流の能に親しんだこともあり、伊達家関係の能楽文書には金春座系の資料が圧倒的に多く伝存し、しかも伊達吉村・大蔵大夫・桜井八右衛門は金春座系秘伝を共有して相互に相伝を重ねるほどであり、そうした関係の中から、『真徳鏡』のような、伊達家独自と言ってよい数々の能楽伝書が成立することとなったのである。

【伊達家旧蔵能楽関係文書の全体像と能楽研究所本の関係】

いわゆる伊達家・仙台藩関係能楽文書は、伊達宗家ならびに仙台藩旧蔵書群とその他の伊達分家旧蔵書群に分かれる。後者で著名なのは亘理伊達家の旧蔵資料を収める北海道伊達紋別市の伊達市開拓記念館所蔵本で、北七大夫奥書の謡本を初め、『真徳鏡』のような伊達宗家文書とも関連する貴重資料が所蔵される。また宇和島伊達家資料中にもやはり能楽資料が現存する由である。これらに対し、最大のものが伊達宗家・仙台藩の旧蔵本であるが、それらの中核は宮城県図書館伊達文庫と能楽研究所とに分蔵される。両所蔵以外の伊達家旧蔵本もまれに存在するが、それらは市場に流出するなどにより分散所有されたもののようである。

能楽研究所所蔵本は、特別文庫にはなっていない能楽研究所本として江戸初期以前の古写謡本と葛籠入りの伊達吉村手沢本を中心にした一群の伝書類、鴻山文庫本として宝玲文庫旧蔵の大蔵庄左衛門家伝書『万能鏡』等のほか、昭和25年に入庫した『真徳鏡』『実鏡書』『要用集』『金春流太鼓頭付』の4件及び「伊達伯観瀾閣文庫印」の朱角印が押捺されたものなど10件、楠川文庫本として伊達吉村手沢謡本4件などから成る。これらはいずれも、いずれかの時にそれぞれ市場に出たものらしく、その多くはもと一群であったろう。

【研究所蔵伊達家能楽資料の構成について】

仙台市博物館所蔵『観瀾閣傳書目録 壹』(明治中期写か。家扶作並清亮校訂・家従蘆立文助編纂)の「能楽之部」には、「能御傳書 壹函黒たゝき塗縁金梨子地錠前付」として71件、「御仕舞付 壹箱桐すハき錠前付」として50件、「小鼓傳書 壹函一閑張文庫真田紐付」として24件、その他バラバラの「謡本」5件25点が所載されており、能楽研究所所蔵伊達家旧蔵本の大半がそれに含まれる。この目録に書かれた「黒たゝき塗縁金梨子地錠前付」の「函」こそが能楽研究所に現存する葛籠なのであろう。

残念ながら、同目録に見えるすべてが能楽研究所に現存するわけではなく、かなりのものが散佚しているらしいが、目録と照合したところでは、主要な書物の多くが研究所に現存するのであり、伊達家旧蔵の能楽関係文書中で比較的価値の高いものが、幸運にも能楽研究所の所蔵に帰したわけである。ただしこの葛籠以外の、「御仕舞付」を収納する「桐すハき錠前付」の箱や、「小鼓傳書」を収めてあったはずの「一閑張文庫真田紐付」は現在所不明で、箱入りのものではない謡本類も含め、それぞれの収納書籍の主要なものが、異なる経路から能楽研究所に入庫したことは、まことに奇縁と言わざるを得ない。さらには元々他の箱に入っていたらしいものが、この葛籠の中に入っていること、目録中に見えない大部の謡本が入庫していることも注意を要する。

仙台城内の伊達宗家所蔵本は、1868年(明治元)当主伊達慶邦が城を退去した後の10月に仙台市若林区一本杉にあった別邸に移送、江戸藩邸の収蔵品も同じく一本杉邸に搬入され、目録も作成されたという(『宮城県図書館のルーツを訪ねて』その3〈仙台藩 叡智の礎「伊達文庫」〉)。管見に入った伊達家旧蔵書の目録には、前述『観瀾閣傳書目録 壹』と宮城県図書館蔵『仙台文庫目録』(宮城県図書館伊達文庫蔵。明治二十八年十月ノ調査ニ係ル分)とがあるが、前者の「能楽之部」所収書目の多くが能楽研究所に、後者の「音楽遊技」条所収書目を含む資料群は宮城県図書館伊達文庫に所蔵されている。なお前掲『宮城県図書館のルーツを訪ねて』3によれば、伊達宗家・仙台藩旧蔵本は1893年(明治26)に結成された仙台文庫会に一時寄託された由であるが、1904年(明治37)に同会解散後は再び伊達家に返却され、後に宮城県図書館に入庫したものであるという(宮城県図書館所蔵本についてはここでは述べない)。

【『伊達伯観瀾閣目録』所載本と能楽研究所本】

例えば『観瀾閣傳書目録 壹』「能御傳書」中に見える『真徳鏡』六冊は、同目録「御仕舞付」中の天和二年奥書の『今春太鼓頭付』『要用集』と同箱で一括して鴻山文庫に所蔵されるが、これらと同箱の『実鏡書』についてはこの目録中に該当する書目が見えず、代わりに天和二年奥書『金春家十九箇条秘書事』壹巻(散佚か)の書名が目録の「御仕舞付」の中にある。また同じく「御仕舞付」には、現在は本研究所伊達家旧蔵本中の葛籠の中に収納される、貞享二年奥書『桜井八右衛門傳書』の名が見える。

さらに鴻山文庫蔵『天文四年奥書加納入道太鼓伝書』には、朱角印「伊達伯観瀾閣文庫印」が押捺されるが、『観瀾閣傳書目録 壹』には同書の記載がない。能楽研究所蔵『金春喜勝奥書巻子本』四巻は、『観瀾閣傳書目録 壹』「御仕舞付」の中に「金春喜勝自筆自声謡 四巻 内卒都婆小町・三輪・龍田他一巻/白羽二重服紗包/箱白木桐」とあるが、蔵印はない。

能楽研究所蔵『伝観世信光筆謡本』百冊や『岩本秀清謡本』五十冊に至っては、伊達家旧蔵本という伝承があるものの蔵印もなく、上記目録中にもまったく書名が見えない。

すなわち『観瀾閣傳書目録』中の書籍には必ずしも「伊達伯観瀾閣文庫印」が押捺されているわけではなく、また『観瀾閣傳書目録』掲載書が伊達宗家旧蔵能楽関係資料の全貌ではなかったのである。『観瀾閣傳書目録』能楽之部所収書目は、一部に喜勝謡本のような江戸初期以前の古写本も含むものの、伊達吉村手沢本を中心とする能楽資料の目録であったと見るべきだろう。本来の伊達家所蔵能楽文書がどれほどの総量であったかは想像も及ばないが、歴代の当主が贔屓した金春流系の大部の古写謡本がほとんど見えないこと、室町末期以前の古写本が僅かながら現存すること、などを考え合わせるに、その多くが散佚したとみるべきなのであろう。しかしながら、吉村手沢本を中心とする能楽研究所本は、現存する伊達宗家旧蔵能楽資料の最良の部分と言うべく、きわめて貴重である。その内容は、シテ方金春流大蔵大夫家系の型付類、幸流小鼓方伝書類を中心として、関連する笛や太鼓の囃子伝書、間狂言伝書、舞台故実、演能記録、幕府への能楽諸家書上、面付、作者付、新作能その他の謡本各種と、江戸初期以来の伝来と思われる謡本等々に及び、また師家である大蔵大夫よりの相伝文書、大蔵大夫後嗣への伝授書の控え、抱え役者諸家より呈上の技術書など、藩主の自筆・他筆を交えた広汎なものとなっている。総体として、近世前期の能の実態を伝える良質の資料群が、本研究所蔵伊達家旧蔵能楽伝書群なのである。